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☆『月夜の森の梟』・・・死別の悲しみの底

グリーフケア

コロナ、コロナの大騒ぎがスタートした年、2020年6月、あるエッセーが新聞でスタートしました。

好きな作家のひとり、小池真理子さんが綴る「月夜の森の梟」

夫であり、作家であった藤田宜永さんとの死別の悲しみを綴った作品でした。

私も、毎週、掲載される土曜日を、待ち遠しく感じていました。

連載が終わった時、私のなかに、ぽっかりと穴のあいたような、喪失感を覚えました。

楽しみにしていた読者は、私だけではなく「梟ロス」を覚えた人は、たくさんおられたとのこと。

連載中、読者からの感想文は、1000通を超えたそうです。

私と同じように配偶者を亡くした方は、「月夜の森の梟」を読みながら、小池さんの文章とともに、自身の喪の旅をされていたのではと思います。

連載終了後、私もデジタルで、感想を投稿しました。

担当者からメールで返信を頂き、掲載をして頂きました。

小池さんは、夫との死別について、配偶者の死別が強烈であったことを次のように書かれています。

藤田と死別して以来、時間の流れが変わってしまった。配偶者との死別が、かくも強烈な喪失感、虚無感を与えるとは、小説を数えきれないほど書いていたというのに、ここまでのものだとは想像していなかった。私は自分の作家としての想像力の貧困さを羞(は)じております

朝日新聞デジタルより

死別当時の、強烈な悲嘆。

同じように感じました。

自分の身体の一部がもぎとられたような。。。。。いや、それとも違う。。。。。。

なんだか、悲しみの底なし沼に沈んでいく感覚。

私は、夫と死別し、既に、24年が経ちました。

ブログにも何度か書きましたが、悲しみの形がずいぶん変容致しました。

それでも、小池真理子さんのエッセーの中に、当時の自分を重ねていました。

悲嘆は個別性が高く、決して、同じものはないと思います。

ですが、似たような、同じような経験を、文章の中に見つけていました。

夫を亡くした直後は、自分だけが、カプセルの中に閉じ込められ、この世の何もかもから、遮断されたような孤独感を強烈に感じていました。

愛する人と死別した者は、孤独です。

強烈な孤独を感じた読者の中には、小池真理子さんの文章の中に、私と同じように、自分の居場所をみつけた方もおられたのでは、ないでしょうか。

読者の感想には、同じような経験を綴ったものが、たくさんあったそうです。

私は、「漆黒の闇の宇宙に放り出されたり、底なしの海にどこまでも沈んでいく感覚」を持ちました。

「海に沈んでいく」・・・・・・

感想文の中には、そんな感覚を持たれた方が多かったと、後に小池さんは語られていました。

死別の悲しみに、果たして、底はあるのでしょうか。

藤田氏が亡くなられ、4年経過した歳月について、小池さんの思いが、新聞に掲載されていました。

今の方がもっと深いところに悲しみをひきずりこんでいって、そこで共生しているような気がしています。井戸にたとえると、悲しみの底がずっと深かった。さらに深いところに悲しみの底がありそうなんだけど、まだ行きついていない。まわりからはもう戻ったと見られているらしい。前に進んで人生を楽しまなくっちゃね、という空気を感じる。

朝日新聞より

人それぞれ。

人それぞれの悲しみの向き合い方があるはず。

他人に合わせる必要はない。本当にそう思うのです。

5月に東京でトークイベント、喪の旅×記者サロン「小池真理子さんが語る、夫・藤田宜永さんの死と『月夜の森の梟』」が開催されるそうです。

残念ながら、大阪に住んでいる私は、東京に行くことができません😢

さっそくオンライン配信を申し込みました。

悲しみの底はしれない・・・・・

多くの方が同じように思われているのかも知れませんね。

窓の外は、突風が吹き、大荒れです。

春は、まだまだ遠い(?)。。。3月も下旬、お彼岸なのに。。。そんな、今日のお天気でした。

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