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遺族会は不思議な空間。
参加者は、それぞれの死別の悲しみを口にします。
悲しさに包まれた空間なのに、時にとっても温かさ、ぬくもりを感じます。
みんなが流す涙は、亡き人への愛がたくさん詰まっているのでしょう。
今日は、遺族会で音読される本について、つぶやいてみました。
花を持って、会いに行く
![](https://griefmementomori.blog/wp-content/uploads/2022/09/728784be46e9143ad49ec27a00feb0cc-800x534.webp)
本を開けると、花が散りばめられた美しい絵と長田弘さんの詩が、目に映ります。
愛する人との別れをテーマに綴られた詩なのに、なぜか心がほっこり。
1冊の本の中に、二編の詩が綴られています。
「花を持って、会いに行く」「人生は森のなかの1日」
なので、本のタイトルは、「詩ふたつ」となっています。
遺族会では、その中の「花を持って、会いに行く」が、よく音読されます。
テレビで落合恵子さんが紹介されていました。
私も惹きつけられ、早速、本を買いに行きました。
すべての、それぞれの愛するひとを見送ったひとに(一部抜粋)
喪失の悲しみをいやすことはできないし、その必要もないと考えるわたしがいる。
なぜならそれは、まるごとの、そのひとを愛したあかしであるのだから。
悲しみさえもいとおしい。
けれども、どうしようもなく こころが疼くとき、長田弘さんの、この、ふたつの「絆」を
声にだして読む。
人生に余分なものは、何ひとつない、と。
落合恵子 詩ふたつ 帯より 抜粋
悲しみさえもいとおしい・・・なんだか、じーんとします。
「悲しみがいとおしい。」
死別直後の悲しみが、今の私には、いとおしいのです。
愛の裏返し。悲しみが形を変えた今、当時がとっても、いとおしく思ったりします。
亡くなった人は、どこにもゆかない
遺族会で音読されるたびに、胸をうつ言葉があります。
どこにもいない?
違うと、なくなった人は言う。どこにもいないのではない。
どこにもゆかないのだ。
詩ふたつ 長田弘より
愛する夫が元気で、あたりまえの日常を共に過ごしていたとき、
四六時中、彼のことを考えることは、なかった。
なのに、死別直後は、寝ても覚めてもずっと、彼のことを考えるようになった。
・・・そうだよね。姿は見えなくても、ずっと私のそばに居る。
どこにもいかず、私の心は全部、愛する人で占められていたような。
遠くにいったのではなく、今、そばに居る。そう思わせてくれる詩です。
絆
![](https://griefmementomori.blog/wp-content/uploads/2022/09/8284f49aac5b0cfd25b5eab809e6ce80.jpg)
作者の長田弘は、「喪によって、人が発見するのは絆だ」と語ります。
悲しみが深いのは、亡き人を思う気持ちが大きいから。
遺族会で、語られる悲しみの中に、深い愛を感じずにはいられません。
涙、涙でスタートしますが、終盤ともなると、時に笑顔になって亡き人を語ります。
みんな、愛しているのです。だから、悲しいのです。
流す涙の中には、たぁくさんの愛が詰まっているのですよね。
死者との絆、そして参加者との絆。
もし、機会があれば、本屋さんでこの美しい本を手に取ってみてください。
ぺらぺらっとめくるだけで、美しい絵とことばに癒されますから。
(けど、長時間の立ち読みは、あかんよ。笑)
今日は、美しい絵本と愛についてつぶやいてみました。では。
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