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1月9日は、父の13回忌でした。
あー、あれから12年も経つのか・・・との思いで迎えました。
波乱万丈の人生だった父。
私も人生前半は、父に翻弄された、激しいものになりました。
今日は、父への思いについて、つぶやいてみます。
幼なかった頃の父との思い出
昭和一桁生まれの父。
戦後、成功した祖父の事業を引き継ぎました。
私が幼かった頃、仕事か、遊びかで、父が家に居ることは、少なかったと記憶しています。
それでも、休みになると兄とキャッチボールをしたり、私達とボードゲームやトランプをして遊んでくれました。
とにかく、子供たちへの愛情はとても深かったのです。
幼少時、父との記憶に残っている出来事があります。
幼稚園時代のことだと思いますが、私はミカンが大好きでした。
食べ終わったミカンの皮を、炬燵台の上に次から次へと並べていた時のこと。
「アーモンドは、本当にミカンが好きやなぁ。嫁入りするときには、自分で食べたミカンの代金を払っていってな。」と笑いながら、言ったのです。
父にすれば、ホンの冗談のつもりだったのでしょうが、その時、私は、号泣したのです。
お金を請求されたから泣いたのかと思った父は、「冗談、冗談。好きなだけ食べなさい」と慌てふためいていました。
幼い頃だったのですが、今でも記憶しています。
それなりに強烈な印象だったのですね。
私は、「いつかこの家から、嫁にいかなくてはいけない」と父から言われ、とっても傷ついたのです。
愛情たっぷりの両親のもとを去らなければいけない日が来るのだと思い、辛くて悲しくて、号泣したのです。
こんな日常の些細な出来事を、60年経っても覚えているなんて。(笑)
今更ですが、それだけ、両親の愛情に恵まれていたのだと、つくづく思います。
浮気性の父と、その陰で泣く母
祖父の事業を継いだ2代目青年実業家。
仕事の傍ら、遊びも大好きな人でした。そして、その遊びに含まれる「浮気」
以前にもつぶやきましたが、お金持ち、高身長、イケメンと条件の揃った父は、とってもモテたようです。そして、女好き⤵
母から聞かされていた父の度重なる浮気の話。(子供にするか???)
父と母は、大恋愛で結ばれています。そして、父方の祖父母から、結婚を反対され、駆け落ちまでした仲。
実は、母の結婚までの半生は、なかなか壮絶なものでした。・・・と聞かされています。
(アーモンドのファミリーヒストリー。。。。⤵)
生育歴の影響でしょうか。傷つきやすかった母は、やがて、心を病んでしまいました。
最期は、父の浮気が引き金となり、自らの人生に終止符を打ちました。
高校生だった私は、もちろん、父を責めました。
あまりの私の父に対する反抗的態度に、兄が、
「アーモンド、母親にとっては、父は、とんでもない夫だと思うけど、僕らにとっては、ものすごい愛情で育ててくれた、いい父親だと思うよ。辛いと思うけど、その態度はないぞ。」と。
実は、母のことで一番傷ついたのは父だったのだと、今なら思えます。
まぁ。。。。。。。人生は、色々あります。
父の壮絶人生の後半
母を亡くし、そして翌年には、父の事業の失敗。
不幸が続いたアーモンド一家。(参照:人生のジェットコースターに乗る)
貧乏のどん底だった、かつての青年実業家。
人生後半は、サラリーマンとなり、退職後は、家電量販店の販売員、そして、交通誘導の仕事にも従事、一生懸命、働きました。
そして、父の人生後半は、病気との闘いでもありました。
喉頭がん→放射線治療→声帯を摘出、そして、15年に及ぶパーキンソン病との闘い。
お喋り好きだった父が声帯を摘出することは、とっても辛い事だと思います。
今のようにパソコンがあれば、状況もずいぶん変わっていたと思うのですが。
父は、再婚をしてましたので、義理の母が、一生懸命、介護をしてくれました。
義母にも、感謝!
要介護5の父でしたが、本人の希望どうり、最期まで、自宅で過ごし、看取ることができました。
82年の人生でした。
父への詫び状
父が亡くなり、もう、12年が経ちました。
祖父の莫大な財産をつぶしてしまった父。父の兄弟たちからは、総すかん。
波乱万丈の生涯を生き抜きました。
遊び好き、賭け事大好き、女好きで、振り回された人生。
だけど、兄が言うように、子供たちには、溢れるような愛情を注いでくれた父。
母のことで、反抗的な娘だった私。
いつの間にか、時が解決し、父との関係も修復することができました。
反抗的なままだと、私も、きっと、もっと後悔をしていたと思います。
間に合ってよかった・・・・。
とは言っても、猛烈に反抗的だった若き日の私。
父はどんなに、悲しかったかなと思います。
今度、あの世(ゼロ・ポイント・フィールド?)で再会したら、改めて感謝と反抗期の詫びを父に伝えるつもりです。
晩年の父が、義母を通して、電話をしてきたことがあります。
「アーモンド、ごはん食べたか?」と。
パーキンソン病の薬の影響か、認知症か。
晩年の父にとって、私達兄弟はいつまでも子供のまま。
ご飯をちゃんと食べたか、心配だったようです。
「お父ちゃん、心配いらないよ、ちゃんと食べたよ。」
・・・と、都度、答えていた50代の私。笑
どこまでも、私達に愛情を注いでくれた父。
本当にありがとう!
『父の詫び状』・・・若い頃、好きだった作家、向田邦子さんの代表作です。
今日のブログのタイトルは、1文字書き加えて、「父への詫び状」としました。
「お父ちゃん、ありがとう!そして、ごめんね。」
今日も最後まで、お付き合い下さって有難うございました。では、また。
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