最近は、手抜き料理が目立つ我が家の食卓。
1日の仕事を終えた後、カーブスで一汗流して帰ると、すでに午後6時半を回っている。
そこから、クタクタになった身体で、夕飯づくり。
手抜きしないわけには、いかない。←いつもの言い訳(笑)
優等生主婦のように、土日に下ごしらえをして、冷凍しておくなんて、「今ここを大切に生きる」私には無理(笑)
そもそも、高校時代に母を亡くした私は、10代後半から家事をしていた。
もちろん、当時も手抜き(笑)
必要に迫られて、スタートしたのだから、好きになれない家事。
早い話、料理が好きではない。
そうは言ってもめちゃくちゃ、下手という訳でもない。(と言っておこう。笑笑)
夫と死別当時、二人の息子は食べ盛り。
出勤前に、朝食、お弁当づくり、塾に行く前に食べる夕飯づくり。
これが夏休みにもなると、お弁当かわりに、昼食も作って、冷蔵庫に格納!
料理を楽しむと言うより、必要に迫られ、そして、食べ盛り、反抗期の息子達への愛の印のため(笑)、必死だった。
よくやったなぁ~ 私 ←m(__)m
残業もあった仕事だったけれど、当時の私は、まだ若くて、体力もあったのだ。
手抜きと言え、結構、息子達が喜ぶよう、和食、中華、洋食など豊富なメニューも、一生懸命考えたものだ。
ところが・・・である。
時の流れは、残酷。
60代後半、働くシニアには、体力的に無理なのである。
・・・・・・などとイロイロ、言い訳がましい前置きが続いたが、春に思い出すのは、母の手料理。
昭和の多くのお母さんがそうだったように、私の母も専業主婦だった。
よく市場への買い物にも突き合わされた。
出汁をとるため、昆布専門店、鰹節専門の店を回るところからスタート。
そんな昭和の食卓には、春になると、毎日のように、筍が登場。
筍ごはん、土佐煮、若竹煮、お吸い物、木の芽和え・・・・・などなど。
兄と、「また、木の芽和えやわ⤵」と陰口をたたいたり。
木の芽和えだけは、子供には、苦すぎた。
筍に限らず、食卓には必ず、季節の旬のものが登場していた。
昭和のおかあさんのメニューで感じた、日本の四季。
それも、今は遠い⤵。
旬を感じることも少なくなり、1年を通して、スーパーでは、豊富な食材が手に入る、
料理に時間をかける必要がなくなったと言うのに、なぜか、気ぜわしい日々。
これが、令和なのかな。
いや、他の方のブログで、とっても美味しそうな料理を目にします。
それこそ、生活に余裕・・・を感じます。
何もかも、時間のせいにする私 m(__)m
スーパーのお店に並んだ筍を横目に、思い出した母の手料理。
もう二度と食べられない。
料理上手の母を持った子は、本当に幸せものです。
そんな風に育ったせいか、舌だけは、肥えています。
(いや、舌以外も肥えとるがな、(笑))
そう言えば、新婚の頃、夫が友人から、「奥さんの料理、美味しい?」とストレートに質問されたことが、ありました。
夫「ん・・・・・美味しい・・・? というよりは、メチャ早い!」
夫なりの誉め言葉でした。笑笑
当時から、時間に追われた生活だったなぁ⤵
いつものように、話がイロイロ飛びましたが、筍から思い出したのが、今は懐かしい昭和の食卓でした。
四季を食卓に感じることは、とっても平和だったんですね。
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