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☆旬を大切にした母の手料理

雑談あれこれ

最近は、手抜き料理が目立つ我が家の食卓。

1日の仕事を終えた後、カーブスで一汗流して帰ると、すでに午後6時半を回っている。

そこから、クタクタになった身体で、夕飯づくり。

手抜きしないわけには、いかない。←いつもの言い訳(笑)

優等生主婦のように、土日に下ごしらえをして、冷凍しておくなんて、「今ここを大切に生きる」私には無理(笑)

そもそも、高校時代に母を亡くした私は、10代後半から家事をしていた。

もちろん、当時も手抜き(笑) 

必要に迫られて、スタートしたのだから、好きになれない家事。

早い話、料理が好きではない。

そうは言ってもめちゃくちゃ、下手という訳でもない。(と言っておこう。笑笑)

夫と死別当時、二人の息子は食べ盛り。

出勤前に、朝食、お弁当づくり、塾に行く前に食べる夕飯づくり。

これが夏休みにもなると、お弁当かわりに、昼食も作って、冷蔵庫に格納!

料理を楽しむと言うより、必要に迫られ、そして、食べ盛り、反抗期の息子達への愛の印のため(笑)、必死だった。

よくやったなぁ~ 私 ←m(__)m

残業もあった仕事だったけれど、当時の私は、まだ若くて、体力もあったのだ。

手抜きと言え、結構、息子達が喜ぶよう、和食、中華、洋食など豊富なメニューも、一生懸命考えたものだ。

ところが・・・である。

時の流れは、残酷。

60代後半、働くシニアには、体力的に無理なのである。

・・・・・・などとイロイロ、言い訳がましい前置きが続いたが、春に思い出すのは、母の手料理。

昭和の多くのお母さんがそうだったように、私の母も専業主婦だった。

よく市場への買い物にも突き合わされた。

出汁をとるため、昆布専門店、鰹節専門の店を回るところからスタート。

そんな昭和の食卓には、春になると、毎日のように、筍が登場。

筍ごはん、土佐煮、若竹煮、お吸い物、木の芽和え・・・・・などなど。

兄と、「また、木の芽和えやわ⤵」と陰口をたたいたり。

木の芽和えだけは、子供には、苦すぎた。

筍に限らず、食卓には必ず、季節の旬のものが登場していた。

昭和のおかあさんのメニューで感じた、日本の四季。

それも、今は遠い⤵。

旬を感じることも少なくなり、1年を通して、スーパーでは、豊富な食材が手に入る、

料理に時間をかける必要がなくなったと言うのに、なぜか、気ぜわしい日々。

これが、令和なのかな。

いや、他の方のブログで、とっても美味しそうな料理を目にします。

それこそ、生活に余裕・・・を感じます。

何もかも、時間のせいにする私 m(__)m

スーパーのお店に並んだ筍を横目に、思い出した母の手料理。

もう二度と食べられない。

料理上手の母を持った子は、本当に幸せものです。

そんな風に育ったせいか、舌だけは、肥えています。

(いや、舌以外も肥えとるがな、(笑))

そう言えば、新婚の頃、夫が友人から、「奥さんの料理、美味しい?」とストレートに質問されたことが、ありました。

夫「ん・・・・・美味しい・・・? というよりは、メチャ早い!」

夫なりの誉め言葉でした。笑笑

当時から、時間に追われた生活だったなぁ⤵

いつものように、話がイロイロ飛びましたが、筍から思い出したのが、今は懐かしい昭和の食卓でした。

四季を食卓に感じることは、とっても平和だったんですね。

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