9日は寂聴さんの1周忌。 早いですね。 もう1年。
確か、私の本棚にも寂聴さんの本があったはず。(ごそごそ・・・)
ありました! 覗いてみたら、説法ものが3冊と玄侑宗久さんとの対談もの1冊。
不思議なのは、何冊か小説も読んだはずなのに、1冊も手元には残っていません。
我が家にある、4冊。
これを機に、再度、読み返してみてもいいかな・・・・。
今日は、寂聴さんのこと、つぶやいてみます。
寂庵説法
3冊ある説法のうち、1冊は、ずいぶん日焼けしています。
本も年季が入ると中が茶色く変色。いったい、いつ頃、読んだ本なんでしょうか。
「寂聴説法」昭和60年3月刊行となっています。
昭和60年と言えば、私が一番、幸せを感じていた頃、新婚時代です。
パラパラめくると、目次に惹きつけられます。
「出会いについて」「むなしさについて」「無常について」「別れについて」「命について」・・・などなど。
・・・・・・・あぁ、魅力的な目次・・・・
30歳の頃と違う今の私。再読してみると、当時と違ったものを受け取ると思います。
「別れの辛さには決して馴れるということがありません。いくどくりかえしても別れは辛く苦しいものです。愛が深いほど、その悲しさは強いといえます・・・」
悲しさは、やっぱり愛の裏返しなんですねっ! 寂聴さん!
新寂庵説法
こちらは、昭和63年刊行となっています。
「新」となっていて、先ほどの「寂庵説法」の3年後に刊行されています。
目次をみると、最初のものより、やや生々しい(笑)
「渇愛」「愛のゆくえ」「不倫の告白」「性は生の終りまで」「嫉妬について」「別れと金銭」・・・
うーん。寂聴さんらしい。
出家後も、人間の生々しいところを隠すことなく、語られる。
そこが寂聴さんの魅力なんですね。
人間らしくて、とっても好感がもてます。嘘偽りのない人間性に惹かれます。
若い頃、確かに瀬戸内晴美の小説を何冊か読んだはず。
小説は手元に残ってなくて、あるのは説法本ばかり。
夫との死別直後は、生きる苦しさばかり感じて、説法ものだけを残したのかもしれません。
恋愛小説とは無縁だと思って、処分したのかも。。。
でも、今、この、やや生々しい「新」のつく方も、読み返そっと!
これから先、恋愛しないとも限らないし・・・・(笑)
寂聴 あおぞら説法
説法もの3冊目。
これは、読んだ時期の記憶があります。初版が平成10年となっています。
たぶん、夫との死別直後に読んだのが、この「あおぞら説法」
天台寺で実際に行われていた「あおぞら説法」を収録、活字にしているため、とても読みやすくなっています。
そして、私だけではなく多くの人が愛する人との死別に苦しんでいるんだなと、気づいた本です。
こんなに苦しい経験をして、これからどうやって生きていこうかと悩んでいた私には、この本が慰めになりました。
今でも覚えているのですが、私も出家したい・・・と思ったことがあります。
夫との死別直後、生きている意味がないと思ったのです。
究極の絶望。 死ねないから、生きているだけ。メチャ、消極的な生。
夫のいない社会で生きるより、寺でひっそりと暮らしたいと思ったのでした。
子供たちもいたので、行動に起こすことはありませんでしたが、真剣にそう思った時期がありました。
今となっては、出家しなくて良かった。
こんな煩悩だらけの私・・・まわりにも迷惑が。。。
が、そのときは、真剣でした。
「あおぞら説法」をパラパラめくりながら、そんなことをふと思い出しました。
死について
『寂庵説法』の中の「死について」のページで、寂聴さんはお姉様との死別の苦悩について、綴られています。
「愛する者との死に真向きになった時、人は初めてその人への愛の深さにきづくのだ」と語られています。
その時の純粋な愛の高まりこそ、この世で最も尊いものなのかも知れないと。
この本の最後に、寂聴さんは書いています。
「この世は美しい。人のいのちは甘美なものだ。いつか私もそうつぶやいて人々の愛に感謝しながらこの世を去りたいものだと思います。」と。
最期は、こんな風に感じて逝かれてたのでしょうか。
とてもキュートな寂聴さん。
あれから1年。あの世は、ありましたか?
そして、お姉さまと再会することが、できましたか?
この世でたくさんの人に愛を下さって、ありがとうございました!
今日は、愛の人、寂聴さんについてつぶやいてみました。
最後まで、読んで下さって、ありがとうございました。では。
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