先日、小学校時代の友から同窓会の連絡がありました。
幹事役のTさんから、同級生の近況を色々と教えてもらいました。
その中に、とても気になる人がいました。
隣のクラスの知的な女の子
その同級生は、隣のクラスのモリさん。
若い頃、アメリカに移り、作家として活躍されていたとの情報でした。
たぶん、彼女とは、小学校時代、一度も会話をすることがなかったかも。
クラスが違ったし、家も遠かった。
60年近く前のこと。記憶は、ほとんど、ない・・・
モリさんは、優等生で、超難関だった私立の女子中学校に進学し、
私は、別の私立女子中学に進学。
当時のモリさんは、成績がよく、物静かで大人っぽい…そんな印象でした。
電話の向こうから聞こえてきたTさんの言葉が気になりました。
「彼女は、中学受験の頃にお母様が急逝されて、そのことが、とても印象深かったのよ。」
そうか…10代で母親が急逝。私と似た環境だな・・・
電話を切った後も、何故か、気になったモリさん。
早速、彼女のことをネットで検索してみました。
そして、Amazonで、彼女の著書『Shizuko’s Daughter』を取り寄せました。
それが、この本との出会いでした。
喪失と成長と
『Shizuko’s Daughter』は、
母・静子が突然自ら命を絶ち、12歳の少女ユキがその喪失と向き合いながら成長していく物語
父の秘書だった女性が、母の死後、まもなく父と再婚。母との思い出を完全に消そうとする義母、義母に気を遣う父。
そんな中で、亡き母との愛を探して、生きていく・・・。
母の自死の原因は、父と義母との関係だったことが、感じ取れます。
12歳と18歳。同じ10代で母を自死で亡くす。
6歳の差はあるけれど、思春期で母を亡くす、しかも自らという壮絶な亡くなり方。
読み進めていくうちに、どこか自分と重なっている箇所を無意識に探してしまいました。
「母と一緒に年を重ねることはできないけれど、思い出がある。お婆さんになっても母や母と過ごした日々を思い出すことができる」
今や、主人公ユキ、いや、モリさんも私も古希を迎える年齢。
すっかり、お婆さんになりました。
(婆さんとの自覚は私にはないけれど・・・(笑))
それでも、今でも眠りにつく前に、母に愛された頃の日々を思い出します。
思いっきり、大切に育てられていたんだと。
私の中では、若くて美しいままの母です。
思い出は、誰にも奪われることがないのですね。
「母さんはあたしに幸せになってもらいたかった。逝ってしまったけれど、それはあたしを傷つけるためでもなく、一生悲しみながら過ごさせるためでもない」
私も、死別直後は、喪失感でとっても苦しく悲しい思いが続きました。
毎日毎日、涙が滝のようにこぼれていたっけ。
受験生だったけれど、勉強なんてできなかった・・・と苦しい言い訳(笑)
やがて、時が流れ、周りの環境がずいぶん、変化して、
いつの間にか、笑っている自分に気が付き、
人生を楽しむように、ベクトルが自然に向いていった・・・
それは、母への思いが薄くなったのではなく、母の生きられなかった長い人生を、自分は生きている。
人生には、限りがあること、そして、できるだけ、楽しく過ごしたい気持ちになっていったような気がします。
それぞれの人生
編集後記には、父が再婚したころから、モリさんは、深い喪失感によって、母と濃密な日々を過ごした「日本」から離れようと決めていたとのこと。
驚くのは、12-13歳で考えていた?
そして、20歳で渡米。
ちょうど、私が喪失感で溺れてしまいそうな日々を送っていた頃と重なります。
今、モリさんは、お元気かしら?
どんな人生を歩まれているのかしら?
思わぬ形で、一度も話したことがなかった同級生と、58年ぶりに(本を通して)再会しました。
その後のモリさんのことが、少し気になる所です。
私はと言えば、デコボコ道を歩くように、いろいろあって、喪失を繰り返しながら、
今でも「生きる」と言う難問に向き合いながら、
生と死を見つめるブログを綴っています。
いつか、お会いできれば、ゆっくりと人生についてお喋りできるかも。
少し余談になりますが、本の中に、私の名前と同じものが出てきます。(珍しい名前)
これも、なんだか、モリさんに導かれたような気持ち。
時空は、離れていても、同じような経験をしているねと。
私の大好きな「意味ある偶然の一致」だったのかな?
今回の同窓会は、欠席でお願いしました。
小学校時代の思い出をそっと、心の中にしまっておく。
大切に、大切に💓


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