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夫と死別し、独りで子育てをされているお母さん、たくさん、いらっしゃると思います。
私もそうでした。
それが、子供たちの思春期、反抗期と重なると、大変!
これまで相談してきた相方は、もういない。。。。
一人でこころの荷物を抱え、乗り越えなきゃいけないことも。
そんな日のことを思い出しながら、今日はつぶやいてみます。
死別後の家族バランス
家族のうちの一人が亡くなると、家族全体のバランスが崩れることがあります。
我が家も、夫の死別直後、それまで安定していた家族のバランスが崩れた経験をしています。
食卓のテーブルに例えると、4本あったテーブルの脚が、1本折れてなくなる感じです。
なんともぎこちない不安定感。ぐらっ、ぐらっ!
夫が亡くなった当時、我が家は小6と中2の息子、そして私の3人家族となりました。
次男の反抗期は、凄まじかった。
(これには、それなりの原因があったのですが、それはまたの機会に。)
今までは、何かあると夫と話し合いながら子育てをしていました。
でも、頼りになる夫は、天国に単身赴任(涙;) ったく、肝心な時にいないんだからっ!
一人で逝っちゃって、戻る気配なし。(まぁ、戻られてもそれはそれで、驚きますが!)
しかも、天国には、ラインもメールも手紙も伝書鳩も届かない・・・・・。
向こうからは見えていたのかな?
もし、そうなら、きっと、頼りない母親の子育てにハラハラしていたかも知れません。
そのグラッグラッ時代のことです。
家を飛び出し、向かった先は・・。
あれは、確か次男が中2の頃。
揉めた内容は、思い出せないのですが、息子の凄まじい反抗に合い、親子喧嘩が始まりました。
今から思い出すと、二人の息子を私が一人の力で育て上げないといけない!と、
必要以上に力んでいたのかも知れません。
度重なる反抗的態度に、私は、精神的にボロボロ。もう限界!とばかり、家を飛び出しました。
行先は? 行先なんて決めて飛び出してはいない。
母が元気でいれば、実家に!帰るかもしれないが、それもかなわず。
ただただ、息子と顔を突き合わせていると、ロクなことはない。頭を冷やそう!との思い。
自然と足が向いた先は、私が小学校時代に暮らした町。
自宅から1時間くらいでしょうか。電車を乗り継ぎ、気が付いたら、その町の駅に着いていました。
こころの荷物を置ける場所
駅をおり、自然に足が向いた先は、海。
川沿いをテクテクと歩いて30分程度かかり、海に到着。
小学生時代、よく母と兄と3人で遊んだ松林の公園。ほとんど当時と変わっていないから不思議。
海は、埋め立てられて、周辺は当時と様子は違っていました。
海を見渡せる場所に、ベンチ代わりの大きな石がありました。
そこに腰をかけ、海をずっと眺めていると、スーッと気持ちが和らいでいきました。
海から山の方をみると、当時暮らしていた家のあたりが見えました。
もちろん、家はないのですが、その方向をじーっと見つめていると、
自分の気持ちが落ち着いていくのがわかりました。
父も母も兄もそこには、いないのだけれど、幸せだった頃を思い出しながら、
小学生の私がそこにいるような感じがしました。
誰かに甘えたかったのでしょうか。こころが悲鳴をあげていたのかも知れません。
そして、目の前の海を見つめていると、だんだんと心が落ち着いていきました。
両親が、「アーモンド、十分、がんばっているよ!」って言ってくれているように思えたのかな。
(テヘッ! ホントにそんな声がしたような・・・・調子良すぎますかね。)
その頃、流行っていたコブクロの「ここにしか咲かない花」のフレーズ。
♪ 心にくくりつけた荷物を 静かに降ろせる場所。
空の色映し出した 瑠璃色の海 遥かから聞こえる
あなたの笑い声は よく聴けば 波の音でした♪
「ここにしか咲かない花」より
何時間かそこで、ボーっとして、また、家路につきました。
こころの荷物、石のベンチに置いて帰りました。
その後のことは、今は思い出せないけれど、息子も私もケロッと日常にもどったのだと思います。
やがて、長かった反抗期も終わり、今は、私の良き相談相手となってくれている次男。
色々あっても、時が解決してくれるのですね。
グラッグラッだったテーブルの脚も、いつの間にやら3本でバランスがとれるようになっています。
天国から覗いている夫は、少し寂しいかも。。。。
今日は、死別直後、子育てにヘロヘロだった当時の私についてつぶやいてみました。
最後まで読んで下さって、有難う。では、また。
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