先日もつぶやいたのですが、前期シニア世代の半数が仕事をしていると言う現実。
すごいですよね! 磯野波平さんが聞いたら、ひっくり返るかも。。。
波平さんは確か、定年まで後1年の54歳。
めちゃ、若い年齢だけど、見た目は立派なおじいちゃん。
1955年頃は55歳が定年、2022年は定年制なしの生涯現役。。。
今日は、私の仕事人生についてつぶやいてみます。
昭和の女子大生、氷河期を経験す!
思い起こせば、私の就職活動は、さんざんでした。
確か、就活解禁が10月からだったと記憶しています。(違ったかな?もはや忘却のかなた。。。)
当時、4年制大学を卒業した女子に、企業は見向きもしてくれませんでした。
大企業には、ことごとく断られ、面接さえも受けさせてもらえませんでした。
理由は、結婚してすぐに辞めてしまうから、そんな人は要らないと。。。。
22歳の女性は、既に年をとっていると思われていたようです。
男女雇用機会均等法前の社会は、まさに女子大生氷河期時代でした。
体育館ほどの大きさのホール、企業説明会に女子大生が山のように詰めかけ、採用されるのは数名。
高校卒業、短大卒業とは、明らかに差別されていたよなぁ~。
昭和とは、そんな時代でした。。。
捨てる神あれば、拾う神あり。
就活に躓いていた頃、友人から神戸のアパレルメーカーが、
4年制女子大生も面接してくれるという情報をゲット!
早速、大阪限定だった就活エリアを神戸にシフト。
「1次面接で、ほとんどが落とされるので、期待しないように!」と言われていたのですが、
面接担当の人事部長との波長が合い、無事通過。重役面接をしてもらえることに。
そして、最終面接も突破することができ、晴れて内定をもらい、アパレル企業へ入社となりました。
捨てる神あれば、拾う神ありとの言葉、しみじみ~実感した経験でした。
そして、なんと、そこは、翌年には、神戸の女子大生、就職先人気№1に選ばれた企業だったのです。
ファッション業界、今から思うと厳しくも、楽しみながらの仕事生活を送っていました。
2年後には営業事務から企画部門への配属となり、ファッションショーを見に行ったり、市場調査でショップを回ったり、たっぷりと楽しく仕事をさせて頂きました。
デザイナー達は、毎年、ミラノコレクション、パリコレクションへと海外出張、
羨ましいなと思いながらも、華やかな世界の職場で一緒に仕事をさせて頂きました。
バブル前でしたが、景気は上昇気流。爆弾ボーナスも支給され、ルンルンとした日々を送っていました。
ベルトなど小物の企画まで任され、ヒット作品も出し、売上に貢献できたことも!
その仕事は、長男の出産を機に退職となりました。当時は、産休、育休など絵にかいた餅。
既婚女性は、出産前には退職するのが当たり前の世の中でした。
8年間お世話になりました。
派遣社員の先駆け・・・
日本でも派遣という働き方が、本格的にスタートした頃、私も子育てと両立をしながら、派遣という形で仕事をリスタート!
「あなたのライフスタイルに合わせた働き方を」とのキャッチフレーズ。
女性にとって、当時の派遣は、働きやすい印象の雇用形態でした。
派遣の対象として認められていたのは、専門的な知識や技術、経験が必要とされる13業務のみ。
派遣登録するのには、社会経験と、ある程度のスキルが求められていた時代です。
派遣の自由化の前でした。
25年前の私の時給は2022年10月から改定される大阪府の最低賃金を遥かに上回っていました。
1630円の時給で仕事をしていました。(2022年最低賃金:大阪府1023円)]
もちろん、仕事内容にもよるので、一概には言えないけれど、なんだかなぁ・・・。
日本は、賃金が上がらないと言うニュースをよく見かけますが、ホント、その通り。
派遣での仕事は、大手電器メーカーでトータル10年。
最初の5年は、広報本部で新聞記事の分析、データベース化の仕事。
後半5年間は、営業本部で秘書業務、営業事務などの職務を担当していました。
ここで、Windows95が誕生、実務を通してしMOSのスキルを習得することができました。
シニアになっても、パソコンへの抵抗がないのは、ここでの経験が役立っています。
夫と死別後、大黒柱となった私は、契約期間に怯えながら働く派遣の仕事を辞めて、
正社員に転職するべく、人生、2度目の就職活動をスタートしました。
44歳の就職活動 大黒柱の母ちゃん、ガンバル!
昭和の女子大生も40代半ばになり、また就職活動をスタートすることに。
今度は、一家の大黒柱。収入面で妥協はできません。
年齢的に厳しいのは、100も承知。
ですが、小雀どもを育て上げるミッションを与えられた母鳥は強し!
面接の先々で、給与の交渉をしていました。「最低○○万円を頂かなくては、辞退致します。」
今から思えば、何様のつもりだったのかと、冷や汗モンです。
未亡人根性炸裂! 笑
ここでも、捨てる神あれば、拾う神あり。
小さな、生まれたて人材派遣会社のコーディネーター兼 営業兼 事務職。
なんでもやらせてもらいましょ、お金もらえるなら、母ちゃんは頑張るのみ。
そんな強気の気持ちで、突入した会社でした。
この会社で16年間、定年まで勤務、子供たちを育て上げることができました。
「定年後もいくつまでも居てくれていいよ」と有難い社長の言葉を振り切り、
(ほんま、すんません<(_ _)>)
還暦を機に、これからの人生を考えるべく、この会社を退職することにしました。
【なんか、自由になりたかってん。もう、一生懸命働くのん、しんどくなってん。】←本音かな。
ところが・・・・。
60歳でキャリアコンサルタント技能士に挑戦、独学で試験に合格!!
仕事と並行して、心理学、グリーフケア、傾聴の勉強をしてきた50代。
そして、人事の仕事をしてきた私。
この二つの接点?
そうや! キャリアコンサルタントと言う仕事、どうやろう??
60歳でも、まだ、まい進しようとする私。どこまでも、進みたいんやね。そんな性格なんかな?
心理学、グリーフケアの勉強は、金銭的にも結構、大変でした。
有閑マダムが勉強する分野かいな!と、ひがみ根性が顔を出すこと、たびたび。。。。
もうこれ以上、勉強にお金をかけたくないなぁ。
そうだ! 技能試験だと、学校に行かなくても、経験だけで受検できるはず。
けど、技能士2級の国家検定、キャリアコンサルタント資格試験より厳しい合格率。
段階的には、まずキャリアコンサルタント資格取得後、2級検定を受験する流れが一般的。
でも、通学するお金も時間も消費する気にならなかったのが本音。
だけど、独学はやっぱり、厳しかった・・・・・
本を買い、過去問を繰り返し、3回目の挑戦で晴れて合格!!!
その時の合格率、13.58%! ねっ、もう一回、聞いて! 13.58%!
ほんでもって、その時の私の点数、めちゃくちゃ、高得点やってん!
(👆少々、我慢して聞いてやってください。)
60歳でも、やればできるのだ!!!!
人生、どこまでも諦めたらあきまへん。(何故か大阪弁)
60歳の春から、ある機関で職業相談の仕事をスタートしました。
60歳からのシフトチェンジ!
色々あった私の仕事人生、できれば、70歳までを目標に日々、仕事に励んでいます!
長くなってしまった私の仕事人生のおはなし。これでおしまいです。
今日は、そんな私の仕事人生についてつぶやいてみました。では。
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