餃子が好きです。
餃子の中は、色んな思い出の具材がつまっています。🥟
青春の思い出と赤萬のギョーザ
先日の夕刊に『「神戸ギョーザ」 店主貫く謎流儀』の見出し。
神戸ギョーザは、私にとって、懐かい青春の味←大袈裟m(__)m
夕刊を読んでいると懐かしいお店の名前が出てきました。
そのお店は「赤萬」
当時、アパレル会社で企画の仕事をしていました。
年に何回か展示会が社内でありました。
全国の店舗からバイヤーが集まります。
展示会前になると、準備、準備で、残業続き。展示会前日は、徹夜で仕事をしたことも。
嫌々ではなく、みんな、一つの目標に向けて、一所懸命仕事をしていました。
当時のアパレル企業は、華やか🤩
バブル前の高成長時代の話です。←古っ!
残業が続く夜は、仕事中に部内の親しい人達で、「餃子」の手合図を送ります。
仕事帰りに、数人で「赤萬」の餃子を食べに、たびたび、行ってました。
当時は、カウンター席と4人掛けの席は1つ。
70代?の白髪頭のご夫婦が、せっせ、せっせと餃子を焼いておられました。
その美味しい事!
夕刊の記事にも載っていましたが、神戸ギョーザの特徴は「みそだれ」で食べること。
6皿をぺろりと食べた思い出も。
あ・・・・・・・・・・・・・懐かしい👀
よく働き、よく遊び、よく食べて、楽しかった思い出が蘇りました。
また、食べに行きたいな!
けど、残業をしたからこその生ビールと餃子。
そんな格別な味には、もう出会えないな・・・
餃子を囲んで、幸せを感じた日
結婚してからは、休日には、夫の手作り餃子が登場!
共働き時代、日曜日の夕飯は、夫が担当してくれていました。
具材に子供が喜ぶようなコーンを入れたり、彼なりに工夫をしてくれていました。
その後、夫は、病気であの世に単身赴任・・・・・・未だ帰らず😢
育ち盛りの子供をワンオペで頑張っていた当時、
わが家の食卓は、休日になると、たびたび私の手作り餃子が登場してました。
食べ盛りの息子が二人。
毎回、90個の餃子をせっせ、せっせと焼いていました。
それは・・・当時の私が幸せを感じた瞬間でした。
死別直後は、餃子どころではなかったのですが。
遺された3人にも、普通の日常がもどってきました。
あたりまえのシンプルな生活。
闘病する家族、そして、大事な人が死に向かう不安な日々、そして、死別直後の悲しさ、寂しさ。
そんな経験をしたからこそ、平凡な日々が愛おしい。
そう思えるようになりました。
なにごとも起らず、平凡に日々が流れること、家族が健康でいられること。
実は、息子が、不登校、反抗期の時期だったかも知れないけれど、
それでも、存在してくれている。
それだけで 十分幸せだと感じることができたのです。
3人で囲む餃子は、幸せの味!
明日から、同期の二人旅
ふと読んだ夕刊の記事。
「赤萬」の餃子。
実は、明日から、「赤萬」に一緒に通った企画部門の同期Oさん(http://griefmementomori.blog/シニアには、秋が似合う。)と東京に遊びに行きます。
経理部門で働いていたアパレル時代の同期Yさんと40年ぶりの再会をします。
Yさんは、40年前に藤沢に転居。
年賀状だけのやり取りをしていましたが、ひょんなことから、再会する運びとなりました。
人生も終盤。
会いたい人に会いに行く。
元気なうちに、後で後悔しないように。
人生の中でお世話になった大事な人と会えなくなり、後悔したことがあるので。
Oさん、Yさん、アーモンドの3人の再会やいかに。
思いでの青春の味、「赤萬」の話題も出るかな!(^^)!
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