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☆散歩しながら、蘇った思い出の数々🚶

雑談あれこれ

梅雨入り前の土曜日、人生の思い出の場所を散歩してみました。

遠方への旅とは違って、小さな思い出の「たび」ってところでしょうか。

同じ散歩するなら、昔を思い出しながらもいいかなと💕

たくさんの故郷がある私

これまでもブログに書いてきましたが、幼いころから結婚するまで、引っ越しを繰り返しました。

一家の大黒柱、父の事業の浮き沈み、そして母の体調不良に合わせて、繰り返し変化した私の故郷。

同じ場所で生まれ、大人まで育った固定の故郷がある人が、今でも羨ましいです。

ひとつ、良いところは、思い出の地がたくさんあること。

箕面→芦屋→(園田)→宝塚→伊丹→仁川→西宮北口→夙川→神戸市垂水区

地名を挙げてみましたが、大阪そして、阪神間をウロウロ。

(園田)は、小6のとき、母が病弱だったため、母方の祖母の家から、芦屋の小学校に通学。転居ではないですが。

これだけ、引っ越しを繰り返していると、様々な思い出が、その場所と重なります。

時を経ても、そこに存在した「庭石」

昨日は、宝塚の街を、兄夫婦と一緒に、ブラブラしてみました。

宝塚には、父方の祖母の家がありました。

宝塚南口、宝塚、清荒神駅、駅3点を結ぶ真ん中あたりです。

幼いころの「おばんちゃんの家」

そして、中3まで住んでいた芦屋の家が、人手に渡り、その後、祖母と同居した家です。

様々な思い出が蘇りました。

宝塚歌劇の「花のみち」からも近く、そして、火の神様で有名は、「清荒神」からも徒歩圏内です。

すっかり激変しましたが、かすかな思い出、道路にかかる陸橋や小さな水路が残っていて、

思い出をたどりながら、かつての「おばあちゃんの家」跡を探しました。

当時は、宝塚もまだ開発途上。人口も少なく、ゆったりとした空間でした。

空き地や、田んぼが、たくさんありました。

昨日は、ギッシリと埋まった家、家、家。

山まで続くマンションの林立に、時代の流れを感じました。

おばあちゃんチも、土地が分筆されて、住宅が数件、立っていました。

私一人では、判明できなかったのですが、ある家の庭に古い大きな石が数個あるのを見つけました。

兄が、その庭石をみつけて、「ここに違いない!」

当時、庭石がいくつもあったのですが、重すぎて?動かせず?(←想像です)家が、新しく建て替えられても、残ったのだと思います。

時代が50年も流れ、街の風景もすっかり様変わりしたと言うのに、あの大きな庭石は、ずっとそこで、移り行く家に住む人々の傍に、ずっしりと動じなく、存在し続けたのですね。

大波小波を繰り返しながら流れた私の人生。泣いたり、笑ったりして流れた時間。

「そんなもん、知らんがな。。。」と言ってるかのように(笑)、ドーン!と、そこに存在し続けた庭石。

当時の沓脱石 幼少時の私の足を乗せた石です
幼いころの兄と私を乗せた大きな庭石

庭石が残っていたことに、小さな感動を覚えながら、「こちら側が台所勝手口、そこが縁側、そこが門、白い蔵もあったよね。」と兄と思い出を共有しました。←ま、それが「どないしたんや」っちゅう話ではありますが。(笑)

あまり、人ン家を眺めるのも失礼と思い、道を行ったり来たり(笑) 

すっかり怪しい者です(笑)

思い出の「葉とうがらし」、そして「はなの道」

祖母の家の2階からは、「宝塚の花火大会」を見ることができました。

スイカを食べながら、夏の風情をしっかりと味わった思い出の家。

そんなことを思い出しながら、昔に参った清荒神まで、シニア3人でテクテク。

清荒神参道の佃煮屋で、母が大好きだった「葉唐辛子」の佃煮をお土産に買いました。

母と散策した思い出も蘇りました。

そして、「花の道」も散歩。今はなくなった宝塚ファミリーランド。

時の流れは、すっかりと街を変えました。

残っているもの、新しいもの。

これからも、町並みは変化を続けるのでしょうね。

たくさんの思い出が蘇った1日となりました。

(アイキャッチ画像は、はなの道に咲いていたつつじの花です。宝塚乙女の香りがするのかな?)

清荒神 ほとんど記憶にありませんm(__)m
なぜか母の思い出 葉唐辛子
はなの道の紫陽花も見ごろでした!

自分の時間が自由に使えるシニアになった今、また、思い出の地をテクテク散歩してみようかと思います。

なんせ、私の故郷は、たくさん、あるのですから(笑)

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