今日の空はグレー一色、雨模様です。
お空も泣きたい時があるんだね。
先日、青空が大好きと書きましたが、実は雨の日も好きです。
雨の日は、とても、心が落ち着きます。
雨の日は、静かに心を耕し、晴れている日は、外の空気を吸いながら自然を愛でます。
まさに「晴耕雨読」・・・あれ?「晴耕雨耕」か・・・。
心を耕す? 家で読書をしたり、ブログを書いたり。
今日は雨の日に思うアレコレについて、つぶやいてみます。
本棚を覗いてみる
ブログを始めて、本棚を覗くことが増えました。
私、今までどんな本を読んできたのかな?
そろそろ、身の回りの整理をする時期に入ったかも知れないのですが、読みたい本が手元にあるのは有難いものです。
引っ越しをするたびに、整理をしたので、手元にあるのは最近のものばかり。
若い頃は、向田邦子のエッセーが好きで、ほとんど読んだかな?
中年期には、佐藤愛子、田辺聖子、山崎豊子、小池真理子など女流作家の本をよく読みました。
あ、村上春樹も大好き! ユングにはまっていた頃です。
若い頃と人生を重ねてきた今、読みたい本は、変わっているとも言えるし、変わっていないとも言えます。(人間って、そんなに、嗜好って、変わらないものなのですね。)
そして、同じ本を再読しても、読む時期によって、伝わるものが変化すると思います。
その変化を楽しめるのも、読書の魅力のひとつです。
夫と死別してからは、喪失とか、生とか死、そんなテーマの本が増えました。
〈大切なもの〉を失ったあなたに ロバート・A・ニーメヤー
本棚の中に『〈大切なもの〉を失ったあなたに』という本が目に入りました。
作者は、ビリーブメント(死別喪失)の第一人者、ロバート・A・ニーメヤーです。
サブタイトルは、「喪失をのりこえるガイド」となっています。
ブログをスタートしてから、たくさんの方が、私の拙い文章を読んで下さっていることがわかりました。
感謝です。
なかでも「愛する人を亡くしたとき・・・」を覗いてくださっている方が多いのです。
本当にたくさんの方が、死別の悲しみの中にいらっしゃるのだと改めて感じています。
死別体験は、人それぞれだと思います。そして、その後のグリーフワークも人それぞれ。
とっても個別的なものだと思うのですが、やはり、共通する所もたくさんあると思います。
だから、人は、死別悲嘆、それに対しての向き合い方、これからの生き方についての指南書を探すのですね。
この本は、大きく3章に分かれています。
1章は、グリーフと向き合う人のために 2章は、グリーフケアに従事する人のために 3章は、自分でできるグリーフ演習
1章では、死別悲嘆は、もちろん、それ以外の喪失、離婚、失業などについても色々と教えてくれています。
経験がないのですが、離婚も、喪失体験。一度は愛していた対象、若しくは生活の一部を失うわけですものね。
この本、少し文字が小さくて、シニアには、やや辛い。。。トホホ。。。
以前、読んだときは、感じなかったのに。 時は、着実に流れているのですね。(悲;)
そして、少し文章も内容が内容なだけに、硬いと感じる方もいらっしゃるかも。
そこを平たくサラッと紹介できれば、いいなとも思うのですが。
またの機会に試みてみます。
最愛の人との死別は、小さな自分の死
最愛の人との死別直後、悲嘆の渦に呑み込まれている場合、私もそうでしたが、これから生きていく意味が見出されなくなります。
宇宙の中に一人、放り出された感覚、死んではいないけれど、生きている気がしない。・・・以前にも書きましたが、私はそんな感覚に襲われました。
フランスのことわざに、「別れは小さな死」というのがあります。ここでの別れというのは死別の別れの意味です。つまり、誰かが死ぬというのは、当人が死ぬだけではなく、私たち遺された者にとっても、一つの小さな死のような体験をするという意味です。
「大切なものを失ったあなたに」 日本語版序文 アルフォンス・デーケン
最愛の人との死別とは、それほど辛く苦しいものなのです。
喪失とは、自分の一部を失うこと。
そう言えば、南直哉老師も、不確かな自分の存在。自分を決定づけるのは、他者とのかかわりしかないのだと語ってましたね。
人間って、人と人とのつながりで、自分のアイデンティティが構成されている。
その一部を亡くしてしまうのだから、辛くて、苦しくて、悲しくて・・・・当然なんですね。
愛する人の死は、自分の小さな死でもあるのです。
自分の落としどころを見つける
今までブログに、人生に意味はあるのか? ないのか?
いや、意味なんてなくてもいいんだよ。とか。。。
色々と本から学んだことについて、つぶやいてきました。
私は、人生で辛かったこと、苦しかったことに遭遇したとき、その意味を考えるクセがあるように思います。
だって、こんな辛い経験、意味がなきゃ、やってられないやん!!!と思ったから。
だから、私にどうしろと言ってるの?とぼやいたり。
この苦しみの中には、必ず私への、ミッションが隠れているのだ・・・・と。
まさに、フランクルの意味ある人生そのもの。
それを探さないと、生きていく気がしなかった、生きようとする力が生まれてこなかったのも事実。
いろーーーーんな本を読んで、いろーーーーんな人の話を聞いて、学んで、自分で咀嚼して。
最愛の人との死別の苦しさとの向き合い方、生きていく上での私にとっての落としどころを見つけようとしてたように思います。
いえ、今でも、人生の落としどころを探しているのかも。そんな気がします。
外を見ると、雨がやんだようです。
今日は、本棚を見て、今まで読んだ本の中から、悲嘆について思うことなど、色々とつぶやいてみました。
雨のおかげで、少しは、心が耕せたような気がします。
最後までお付き合い下さり、有難うございました。では。
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