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☆「今、辛い人」に、正論は届かない

本・映画

芸能界で活躍中の方の訃報を聞くことがあります。

中でも自死によって亡くなられた方の報道には、胸が痛みます。

遺族を始め、周りの方の辛さ、こころの痛みは、どれほどか・・・

生きていくのが辛かったとき

40代前半で夫と死別したとき、「これから先、生きていくのが辛い」感覚がありました。

けれど、積極的に死にたいと思ったわけでは、ありません。

結果、「生きていくのは、苦しい!でも、死ぬこともできない。」と言う《死んではいないけれど、かと言って、生きている感じもしない。》と言う消極的な「生」を続けていました。

今から思うと、「そこまで・・・?」と思うのですが、子供たちが居なければ、「出家をしたい!」と思ったり。

この社会から離れたい気持ちかな。現実からの逃避かな。。。

以前にも書きましたが、愛する人を失った直後の私の感覚です。

同じような経験をした方に、胸の内を書いて手紙を送ったり、ただひたすら話を聴いてもらったり。

どちらも、見ず知らずの方です。

今、思えば、自分でメンタル面を保つ作業をしていたのだと思います。

意外とこんなときは、知らない誰かが、有難かったりします。

本当は、生きたいという意味も

手元に、『もしも「死にたい」と言われたら』という本があります。

何度かセミナーなどでお話を聴かせて頂いたことのある松本俊彦先生が書かれた本です。

悩んでいた時、そして、ケアの勉強をしている時、色々な本を読みました。

その中の一冊です。

医療従事者向けの本ではありますが、私自身にも役にたつと思い、読んでみることにしたのです。

「死にたい」とだれかに告げることは、「死にたいくらいつらい」ということであり、もしも、このつらさを少しでもやわらげることができるならば「本当は生きたい」という意味なのである。

『もしも「死にたい」と言われたら』より

生きづらさを抱えている息子は、小学生のころ、「生きている意味がわからない」と私に話したことがあります。

そのとき、私は、どんな返事をしていたのか・・・

正論を振りかざしていたのか、ただひたすら耳を傾けていたのか・・・もう忘れてしまいました。

そんな深い言葉が小学生の口から出たことに驚いたことは、今でも覚えています。

出来そうだけれど、難しい傾聴

ストレートに「死にたい」と言われた時、私達はどんな対応をしてしまいがちなのでしょうか。

励ましたり、「死んではいけない」とか、「命は大切だ」とか、正論を振りかざしたり・・・してしまいがちですよね。

この本の中で、自死念慮の告白に対する対応が載っています。

とても参考になります。なかなか、一般的には難しい事もあります。

でも、知っているだけで、参考になることも。

話を聴いた時、まず、「辛い話をしてくれてありがとう」と言えればいいな・・・

そして、一生懸命、話に耳を傾ける。

ありがちなのは、否定したり、批判したり、励ましたり、人生論を語ったり、正論を振りかざしたり。

そんなことを、ついつい、やってしまうのですが、そうなれば、相手は口を閉ざして、殻に閉じこもってしまいます。

死にたくなるほど辛い現状を伝えてる。

頭から否定をしないで、その話に耳を傾けること。

本の中には、もっと、専門的なことが書かれていますが、私達ができるのは、正論を語らず、批判、励ましもせず、しっかり、話を聴くこと。

出来そうですが、意外と難しいです。

否定したり、正論をかざしたり、励ましたり・・・してしまいがちです。

専門家に繋いだほうが良い時がある

過去に、知人と話しているときに、突然、涙を流されて、辛い心のうちを語り出されたことがあります。

しかも、歩いている途中、雑踏の中で。

いてもたっても、居られなかったのでしょう。

彼女は突然、ご自身の悩みを話されました。

それほど親しい方でもなかったので、驚きました。

どうしようか。。。。。。

突然のことだったので、少し焦りました。

でも、この本を読んでいたので、最低限、してはいけないことをせずに済んだと思います。

できる範囲で話を聴いたうえで、専門的な機関で相談されるようにと伝えました。

生きていくと、誰の人生にも、本当に色々なことがあります。

今日は、活躍されていた方の訃報の報道を聞き、その時、思ったことをつぶやいてみました。

最後まで、読んで頂いて、ありがとうございました。

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