ヒュルルルル~~~・・・・ ドーン!
大きな花が咲き、そして、やがて、消えていく。
華やかで、なんとなく切ない気持ちにさせる打ち上げ花火。
花火には、鎮魂の意味もあるそうです。
今日は、そんな花火のこと、つぶやいてみようかな。
20年ぶりの花火大会
昨日は、息子達が保育園時代からお付き合いのあったママ友を誘い、
地元の花火大会に行ってきました。
財政難で2003年から中止となっていたのが、クラウドファンディングなどで資金調達、
ボランティアの力も借りて復活されたとか。
大会主催者の挨拶、感極まりほとんど声になっていなかった。
マイクから聞こえる嗚咽のなかに、これまで20年間の苦労がみえました。
言葉にならない思い、言葉にならなくても、しっかり伝わりました。
15万人が昨日の花火を楽しんだとか。
本当に皆様の苦労が実り、私も楽しませて頂くことができました。
ありがとう。
夏の終わりを告げた花火
2000年の初夏、最愛の夫が、天国に旅立ってしまいました。
癌発覚後、40日でした。まだ、小学生と中学生の二人の息子を残して。
その年の夏の終わり、家族の思い出たっぶりの花火大会を見に行きました。
いつもと違っていたのは、そこにお父さんがいなかったこと。
花火大会が終わると新学期。子供たちにとっても、毎年、夏休み最後の楽しみでした。
いつまでも続くと思っていた夏の行事。
いつまでも・・・と、勝手に思い込んでいた幸せ。
その後、息子達は二人とも中学生になり、母親と花火大会には行かなくなりました。
花火大会そのものも、3年後には中止となってしまいました。
いつまでも・・・・なんて、こちらが勝手に思い込んでいただけ。
だからこそ、今を大切にしないと。
大輪の花火に思いを込めて
ヒュルルルルル~~~、ドーン!
大きな花を咲かせ、やがて消えていく。余韻の煙を残して。
花火は華やかだけど、なんとなく切なさを感じてしまいます。
23年前、私が見た花火の花は涙で霞んでいました。
今まで当たり前にいた人が横に居ない。何も変わっていないのに我が家だけが違う。
そのことが辛くて。。。。
昨日は、そんなことを思い出しながら、花火を見上げていました。
20年経った今、悲しみの形は変わり、夫の喪失体験は私のなかの一部となってます。
その経験も含めて、今の私がいる・・・そんな感覚です。
花火は鎮魂の意味もあるとききます。精霊流しに似ているのですね。
20年前に見た花火、きっと、私も、泣きながら、夫を見送っていたのでしょう。
その時には、気がついてなかったけれど。私も鎮魂の意味を含めていたのでしょう。
昨日の花火は、開催地2都市に誕生した赤ちゃんの数だけ、打ち上げられたと聞きます。
同時に、たくさんの方が、あちらの世界に旅立たれたのでしょう。
皆様が安らかに旅立たれますように、そして、残された方たちの魂も癒されますように。
そんなことを思いながら、見上げた花火でした。
今日は、夏の終わりの花火について、つぶやいてみました。では。
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