いつの間にか、時が流れ、前期シニアになった私。
若い頃は、年齢を重ねると、それなりに、色々と分かってきて、大人になっているはず。
などと漠然と思っていたものです。
そして、シニアになった今、「そうでもないなぁ・・・」と感じています。(笑)
人間って、本質は、そんなに変わらないものなのかもねぇ。
でも、色々と経験した分、少しは成長したと思いたい。(笑)
グリーフケア、スピリチュアルケアの勉強を重ねていた頃、色々な本を読んで、気になった言葉があります。
「手放す」「引き受ける」「委ねる」
手放す
若い頃は、未来のこと、色々と想像し、
そして10年後、20年後の理想の生活。きっと、手に入るはずと信じてました。
昭和世代の私は、理想の相手をみつけ、結婚、こんな風に子供を育てて、老後は・・・などと夢を描いてました。
こんな風になれば、きっと、幸せなんだろうと考えた、何の根拠もない幻の理想の姿。
ホント、単純な若者でした⤵
実際に、生きていると、ことごとく夢は、こわれていきます。笑笑
あれ? なんじゃ? こんな風になるはずではなかった・・・・などなど。
つくづく自分の傲慢さに呆れかえります。
人生は、そんな甘いもんじゃ、おまへん。。。。
そうなってくると自分の理想、執着なんかを手放していく事を覚えます。
とは、いっても、まだまだ未完成(歳だけは重ねていますが)な自分を感じています。
手放すって、難しいけれど、結構、大切なんじゃないかなと思います。
引き受ける
そして、引き受ける
これは、自分を、自分の人生を引き受けること。
一生懸命、頑張ったり、努力しても、意に沿わない、納得できないことが次々とおこります。
そうこうするうちに、諦めることを覚えます。
仏教用語では、諦めるって、明らかにきわめること、真相をはっきりすることらしい。
マイナスな言葉では、ないとされてますが、その通りですね。
真相がはっきりすると、現実をみることができます。
真相が明らかになると、それを「引き受ける」しかなくなります。
色々と、悩んだり、悲しんだり、もがき苦しんだり。
だけど、どうしようもないことは、「引き受けざるを得ない」
そんなことを学んだような気がします。
これもマイナスな言葉ではなく、「引き受けられる」ようになりたいと願っているのです。
これから先のことは、わからない。。。それも本音です。
もし、これから先、衝撃的な出来事が起きれば、「引き受けることなんて、とっても、できない!」と叫んでいる私がいるかも知れません。
やっぱり、未完成のまま。。。それが人間。。。かな。
委ねる
努力しても、頑張っても、意に反する出来事が起きる。
それが、人生かも知れません。
手放し、引き受けた後、どうするか・・・・
これは、もう、目に見えない力、大いなるものに委ねるしかないのかなと。。。
シニアになった今、そんな風に考えるようになりました。
今までも何度かブログに書いてきましたが、信仰している特定の宗教を持っていません。
カトリックの学校に通学し、実家は真言宗、嫁ぎ先は浄土真宗。
禅マインドに大いに惹かれている、なんでもありの私です。
ですが、人智を越えた大いなるものへの信仰心は、しっかりと私の中に存在しているのです。
それをなんて呼ぶかは、宗教によって異なるかも知れませんが・・・
大いなるもの。
その大いなるものに、委ねる。
最終的には、自分の力が及ばない事、どうしようもないことに対しては、祈り、委ねることが必要なんじゃないかなと思うようになりました。
どうしようもない、答えの出ない状況に陥った時、どうしたらいい?
今日は、シニアになった今、時々、考える3つの言葉についてつぶやきました。
最後までお付き合い頂いて、ありがとうございました。
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