晴れた青空 暑い1日になりそうです。
78年前の広島の空も、今日と、同じように晴れていたそうです。
8月、忘れてはいけない日
8月は、7日と11日。母の誕生日と命日のある月。
生と死が交錯する月と書きました。
考えてみると、母だけではなく、8月は、一般的にも生と死が交錯する月なのです。
先祖様が帰ってくるお盆。
そして、6日、9日、15日。
忘れてはならない日が続きます。
1945年の今日、8月6日は、米軍により原爆が投下されました。
78年前の広島に。
それから、11年経過した1956年7月17日、政府は、「もはや戦後ではない」と宣言しました。
戦前のGNP(国内総生産)が戦前水準を上回ったため、宣言されたとのこと。
宣言されたのは、私が生まれた一か月後のことです。
「もはや戦後ではない」67年を私は、生きてきました。
・・・67年・・・
改めて・・・長い間、生きてきたなと思います。
もはや戦後ではない。でもやっぱり戦後かな?
私の人生の記憶は、平和の中の日常の暮らしばかり。
幼い頃の、セピア色の記憶の中は、もはや、食べるものに困ることもなく、安心して毎日を送る事ができていました。
ただ、悲しい記憶もうっすらと・・・。
親に連れられて天王寺動物園に行くと、そこには、片足の兵隊さん達(傷痍軍人)がアコーディオンを弾いて、立っていました。
物乞いをされていた記憶があります。
偽の傷痍軍人もおられたようです。
幼かった私は、なんとなく怖い雰囲気で、直視することなく、その場を足早に通り過ぎたことを覚えています。
テレビから流れる放送も、幼い頃は、戦争関係の番組があったことを記憶しています。
小学生の私が観て、毎回泣いていたのが、「あ々同期の桜」というドラマ。
特攻隊員少年、青年の家族に宛てた手紙を基にドラマ化された番組です。
「もはや戦後ではない」と言われた年に生を受けたけれど、まだ、どこか戦争のにおいが残っていました。
夕食後、母からは、戦争中の話をよく、聞いたものです。兄と二人で。
戦争を生きたそれぞれの人の心は、やっぱり、いつまでも戦後なのです。。。
きみたちはどう生きるか
今年は、沖縄旅行で「ひめゆりの塔」平和記念資料館ではじける少女たちの笑顔の写真に出会いました。
同じように、原爆投下前、日常の生活を送っていたはずの広島の人々。
寂しい事に、8/6の朝刊、広島関係のタイトル文字が小さくなっていってます。
多くの被爆者が亡くなり、語り継がれることの限界も来ているのでしょうか。
長男と二人で、一度だけ、訪れたことのある広島の原爆資料館。
長崎の原爆資料館は、母と一緒に高校時代に訪れました。
シニアになって、一人旅に挑戦し始めている私。
どちらの地にも、これから、独りで訪れてみたいなと思います。
今の危なっかしい平和の時代。
先の見えてきた私が、悲しい歴史の地を訪問、どう感じるのか。
「きみたちはどう生きるか?」
そんな風に戦争の中を生きた人、亡くなった人に問われているような気がするのです。
今年も8月6日がやってきました。
今日の広島も青空でしょうか?
悲しい歴史に手を合わせて、1日を過ごしたいと思います。
最後までお付き合い下さって、ありがとうございました。
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