梅雨入り前の土曜日、人生の思い出の場所を散歩してみました。
遠方への旅とは違って、小さな思い出の「たび」ってところでしょうか。
同じ散歩するなら、昔を思い出しながらもいいかなと💕
たくさんの故郷がある私
これまでもブログに書いてきましたが、幼いころから結婚するまで、引っ越しを繰り返しました。
一家の大黒柱、父の事業の浮き沈み、そして母の体調不良に合わせて、繰り返し変化した私の故郷。
同じ場所で生まれ、大人まで育った固定の故郷がある人が、今でも羨ましいです。
ひとつ、良いところは、思い出の地がたくさんあること。
箕面→芦屋→(園田)→宝塚→伊丹→仁川→西宮北口→夙川→神戸市垂水区
地名を挙げてみましたが、大阪そして、阪神間をウロウロ。
(園田)は、小6のとき、母が病弱だったため、母方の祖母の家から、芦屋の小学校に通学。転居ではないですが。
これだけ、引っ越しを繰り返していると、様々な思い出が、その場所と重なります。
時を経ても、そこに存在した「庭石」
昨日は、宝塚の街を、兄夫婦と一緒に、ブラブラしてみました。
宝塚には、父方の祖母の家がありました。
宝塚南口、宝塚、清荒神駅、駅3点を結ぶ真ん中あたりです。
幼いころの「おばんちゃんの家」
そして、中3まで住んでいた芦屋の家が、人手に渡り、その後、祖母と同居した家です。
様々な思い出が蘇りました。
宝塚歌劇の「花のみち」からも近く、そして、火の神様で有名は、「清荒神」からも徒歩圏内です。
すっかり激変しましたが、かすかな思い出、道路にかかる陸橋や小さな水路が残っていて、
思い出をたどりながら、かつての「おばあちゃんの家」跡を探しました。
当時は、宝塚もまだ開発途上。人口も少なく、ゆったりとした空間でした。
空き地や、田んぼが、たくさんありました。
昨日は、ギッシリと埋まった家、家、家。
山まで続くマンションの林立に、時代の流れを感じました。
おばあちゃんチも、土地が分筆されて、住宅が数件、立っていました。
私一人では、判明できなかったのですが、ある家の庭に古い大きな石が数個あるのを見つけました。
兄が、その庭石をみつけて、「ここに違いない!」
当時、庭石がいくつもあったのですが、重すぎて?動かせず?(←想像です)家が、新しく建て替えられても、残ったのだと思います。
時代が50年も流れ、街の風景もすっかり様変わりしたと言うのに、あの大きな庭石は、ずっとそこで、移り行く家に住む人々の傍に、ずっしりと動じなく、存在し続けたのですね。
大波小波を繰り返しながら流れた私の人生。泣いたり、笑ったりして流れた時間。
「そんなもん、知らんがな。。。」と言ってるかのように(笑)、ドーン!と、そこに存在し続けた庭石。
庭石が残っていたことに、小さな感動を覚えながら、「こちら側が台所勝手口、そこが縁側、そこが門、白い蔵もあったよね。」と兄と思い出を共有しました。←ま、それが「どないしたんや」っちゅう話ではありますが。(笑)
あまり、人ン家を眺めるのも失礼と思い、道を行ったり来たり(笑)
すっかり怪しい者です(笑)
思い出の「葉とうがらし」、そして「はなの道」
祖母の家の2階からは、「宝塚の花火大会」を見ることができました。
スイカを食べながら、夏の風情をしっかりと味わった思い出の家。
そんなことを思い出しながら、昔に参った清荒神まで、シニア3人でテクテク。
清荒神参道の佃煮屋で、母が大好きだった「葉唐辛子」の佃煮をお土産に買いました。
母と散策した思い出も蘇りました。
そして、「花の道」も散歩。今はなくなった宝塚ファミリーランド。
時の流れは、すっかりと街を変えました。
残っているもの、新しいもの。
これからも、町並みは変化を続けるのでしょうね。
たくさんの思い出が蘇った1日となりました。
(アイキャッチ画像は、はなの道に咲いていたつつじの花です。宝塚乙女の香りがするのかな?)
自分の時間が自由に使えるシニアになった今、また、思い出の地をテクテク散歩してみようかと思います。
なんせ、私の故郷は、たくさん、あるのですから(笑)
コメントなし