にほんブログ村
今日まで、たくさんの人と出会いました。
そして、たくさんの人に私の話を聴いてもらい、
また、たくさんの人が私に語ってくれました。
今日は、「聴くこと」「語ること」について、つぶやいてみようかな。
聴く力
今から10年程前でしょうか、阿川佐和子さんの「聞く力」がベストセラーになりました。
この聞く力は、人間関係に、そして仕事をするときの営業にも必要な力だと、みんなが思っていたから、あれだけヒットをしたのでしょう。
みんなが、阿川三和子さんの「聞き上手」に憧れていたのかもしれませんね。
日常の会話だと、そんなに頑張らなくてもいいのだと思います。。。逆に不自然になるし。
が、・・・
これが、ケアに繋げたり、悩みを聞いたりするときには、少し違ってきます。
グリーフケアの勉強でも、傾聴の大切さを学びました。
聴くだけなのに、とっても難しい。
例えば、相手の沈黙に耐えられなくなり、こちらから声を発してしまったり。(経験有りです;泣)
沈黙の中に、声にならない言葉があるのですよね。言葉にならない言葉・・・・。
(そんなに、簡単には聞こえないぞぉ!)
特に重い話を聴いたりすると、それに耐えられない。
そこにしっかり耳を傾ける。いや~、言うは簡単、でも、本当に難しいですよね。
そして、耐えられずに、こちらから、言葉を迎えに行く。。。(耐える力不足;泣)
河合隼雄先生も、しゃべる事より、聴く方がかなりのエネルギーがいるとおっしゃってます。
そして、更に難しいのですが、ふんわり聴かないと、相手が自由に話せない。
聴く側に力が入り、ふんわりと聴けないでいることを、河合先生は「言葉を掴む」と表現されていました。
こちらが力んで、相手の言葉を掴んでしまっては、相手が、自由に話せなくなる。
だから、ふんわりと聴けと。
どんなけ、難しいねん! いやはや、聴くことって、ホントに深く、難しいものなんですよね。
語ること
聴いてくれる人がいると、語ることができるようになります。
もちろん、日記を書いたり、ブログ、Twitterなど利用して発信することもできますが。
上手に聴いてくれる人がいると、自分でも気づかなかったこと、思っていなかったことの大事なポイントにハッとしたり。
私を語る、物語ることの重要性。 語ることで、自分に深く向き合うことができるのですね。
患者が語ることにより、症状が改善されるということで、医療の現場でも、ナラティブ・ベイスト・メディスン(語りによる医療)が注目されているそうです。
そして、先日ブログにアップしたように、受刑者が罪に向き合い、償うことを掘り下げることを目的に一部の刑務所でも取り入れ始めているようです。(まだまだ、少ないのが、残念です・・・)
参照:https://griefmementomori.blog/%e3%80%8c%e3%83%97%e3%83%aa%e3%82%ba%e3%83%b3
私もこうやって、ブログを綴ることにより、色々、考えたり、自分と向き合ったりしています。
そして、今まで、自分自身も辛かったり、悲しみが飽和状態になると、誰かに語っていたのだと思います。
そのとき、聴いていくれる人が居て、初めて自分を語ることができたのですね。
患者家族の話を聴いて
研究所で、ケアの勉強をしていた時の経験です。
傾聴の大切さを理屈?授業で学んでいたのですが、実習先で実感したエピソードがあります。
ホスピスでは、患者様だけではなく、患者の家族からの話も聴いてました。
あるとき、小さいお子さんを育てながら、父親の看護をしている若いお母さんがおられ、
看護師長から、「少し話を聴いてあげて」と頼まれました。
授業で傾聴の勉強をしていたのですが、実践は、ほとんど初心者マーク🔰の頃。
教科書通り(笑)の傾聴を心掛けました。
最初は、子育てが大変、夫の愚痴、ママ友との関係、父親の看護、幼稚園の先生の話・・・・
エンドレステープ(古い表現でスンマセン!)のように、止まりません。
私が、口をはさむ隙間もなく、延々と語りは、続きました。
カウンセリングなどは、時間を決めてするのが大前提となっているようですが、
研修中の身。止めることもできず、話は、続く続く・・・・・。
あまりに長時間で、途中で看護師長が、覗きに来たほどでした。
ところが、途中で様子が変わり始めました。
「こんなにしんどいけれど、私、結構、周りに助けてもらっているんです」
「はぁ」と私の頼りない返事(でも、一生懸命、聴きました。)
最後には、「私って、幸せなのかな。」と言うことになり、話は終了。
特に、私が何をしたというのでも、ありません。
ただただ、ひたすら、聴くことに専念をしただけ。(質問も、はさみながらだけれど。)
彼女は、自分で言葉を発し、自分で答えを出していかれました。
最後は、私はヘトヘト、ぐったり。
そのとき。「あ~~!これが、聴くことなんや~~。」と実感しました。
相手が語る事、そして、相手の中の答えを、相手が自分で見つける。
「聴くことってすごいな!」と実感したできごとでした。
そう、以前、ホスピスで傾聴した軍人さん、
傾聴をした最後の日、
「私は、今まで天皇陛下を憎んでいました。でも、あなたに話をしているうちに、天皇陛下に支えられていたことに気付きました。とてもスッキリしました。」と語られました。
私は、何もしていないのです。お話を聴いただけ。
語ることにより、Bさんがご自身で人生を振り返られたのです。
語るっていうこと、ホントに不思議な力があるのですね。
聴く人がいて、語ることができる。
語る人が、語れるのって、聴く人がいて成立するのですよね。
今、悲しみの渦に吞み込まれそうな人、生きづらさを抱えて苦しんでいる人、
そんな方達がたくさん、いらっしゃると思います。
そんなとき、自分の話を受け留めてくれる誰かがいると、いいですね。
以前に、ブログにアップしましたが、自死遺族も語りにくい死別を体験されています。
(参照:https://griefmementomori.blog/%e6%84%9b%e3%81%99%e3%82%8b%e4%ba%ba%e3%82%92%e8%87%aa%e6%ad%bb%e3%81%a7%e4%ba%a1%e3%81%8f%e3%81%97%e3%81%9f%e3%82%89%ef%bd%a5%ef%bd%a5%ef%bd%a5/)
遺族会などで、語ることができればいいなと思います。
語ることを受け入れる優しい社会になればいいなと思います。
聴くこと、難しいですよね。
余計なアドバイス、激励なんかは、不要です。
ただ、ただ耳を傾けること、できればいいな。
私自身もそう思いながら、まだまだ。
聴き上手になりたいなと願っています。
おしゃべり好きの私。
人の話を聞くことも大事なんだと、年を重ねるとだんだん、わかってきました。(遅っ!)
今日は、「聴く人、語る人」について、つぶやいてみました。
最後まで、お付き合いくださってありがとうございました。
では、また。
コメントなし