遺族会は不思議な空間。
参加者は、それぞれの死別の悲しみを口にします。
悲しさに包まれた空間なのに、時にとっても温かさ、ぬくもりを感じます。
みんなが流す涙は、亡き人への愛がたくさん詰まっているのでしょう。
今日は、遺族会で音読される本について、つぶやいてみました。
花を持って、会いに行く
本を開けると、花が散りばめられた美しい絵と長田弘さんの詩が、目に映ります。
愛する人との別れをテーマに綴られた詩なのに、なぜか心がほっこり。
1冊の本の中に、二編の詩が綴られています。
「花を持って、会いに行く」「人生は森のなかの1日」
なので、本のタイトルは、「詩ふたつ」となっています。
遺族会では、その中の「花を持って、会いに行く」が、よく音読されます。
テレビで落合恵子さんが紹介されていました。
私も惹きつけられ、早速、本を買いに行きました。
すべての、それぞれの愛するひとを見送ったひとに(一部抜粋)
喪失の悲しみをいやすことはできないし、その必要もないと考えるわたしがいる。
なぜならそれは、まるごとの、そのひとを愛したあかしであるのだから。
悲しみさえもいとおしい。
けれども、どうしようもなく こころが疼くとき、長田弘さんの、この、ふたつの「絆」を
声にだして読む。
人生に余分なものは、何ひとつない、と。
落合恵子 詩ふたつ 帯より 抜粋
悲しみさえもいとおしい・・・なんだか、じーんとします。
「悲しみがいとおしい。」
死別直後の悲しみが、今の私には、いとおしいのです。
愛の裏返し。悲しみが形を変えた今、当時がとっても、いとおしく思ったりします。
亡くなった人は、どこにもゆかない
遺族会で音読されるたびに、胸をうつ言葉があります。
どこにもいない?
違うと、なくなった人は言う。どこにもいないのではない。
どこにもゆかないのだ。
詩ふたつ 長田弘より
愛する夫が元気で、あたりまえの日常を共に過ごしていたとき、
四六時中、彼のことを考えることは、なかった。
なのに、死別直後は、寝ても覚めてもずっと、彼のことを考えるようになった。
・・・そうだよね。姿は見えなくても、ずっと私のそばに居る。
どこにもいかず、私の心は全部、愛する人で占められていたような。
遠くにいったのではなく、今、そばに居る。そう思わせてくれる詩です。
絆
作者の長田弘は、「喪によって、人が発見するのは絆だ」と語ります。
悲しみが深いのは、亡き人を思う気持ちが大きいから。
遺族会で、語られる悲しみの中に、深い愛を感じずにはいられません。
涙、涙でスタートしますが、終盤ともなると、時に笑顔になって亡き人を語ります。
みんな、愛しているのです。だから、悲しいのです。
流す涙の中には、たぁくさんの愛が詰まっているのですよね。
死者との絆、そして参加者との絆。
もし、機会があれば、本屋さんでこの美しい本を手に取ってみてください。
ぺらぺらっとめくるだけで、美しい絵とことばに癒されますから。
(けど、長時間の立ち読みは、あかんよ。笑)
今日は、美しい絵本と愛についてつぶやいてみました。では。
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