毎年、春になると中学高校と6年間通学していた母校から同窓会誌が送付されてきます。
卒業して、早、半世紀。
春に届く同窓会誌
住所は、何度、変わったか知れません。
こちらから住所変更届を出したことはないのですが、毎年、送付されてきます。
陰に、親友Y子さんの存在があります。
何度か書きましたが、Y子さんは中学1年で出会った友達。
彼女は、同窓会の学年幹事を担当。自らではなく、「誰もしないから・・・」と皆が、避けたがる役を担ってくれています。
入学当初、背の順番に並ばせられ、一番高かったのがY子さん。
その前にいたのがアーモンド。
出会いの不思議、不思議な出会い
そんな出会いがあり、なんと、出会いから50年以上経った今でも交友関係は継続中💕
彼女とは、50年以上のお付き合い。(お互いの人生の危機のときも)途切れていません。
人生、色々ありまして・・・
同窓会誌には、現役世代の先生、学生の様子から、卒業生や恩師の近況まで掲載されています。
現役世代の進路も掲載されており、私たちの頃より、メチャ、メチャ優秀。
難関国立大学、私立大学などに、後輩たちは進学しているようです。
これも、時代の流れかな・・・・・・
進学校にならないと、学校存続の危機なのかも知れませんね。ヤレヤレ・・・・⤵
私たちの頃は、勉強と言うより、今の時代に全く合わない、良妻賢母(もはや死語?)を育てることを目指していたような雰囲気でした。
ま、学校はそうであったとしても、私は、そう育たなかった( ´∀` )
お嬢様がいつまでもお嬢様でいられるとは限らない。
人生は、そんな甘いもんやおまへん(笑)
お嬢様から、奥様(この呼び方も今や、どない?)に、順調に人生を送られている方もたくさんいらっしゃいますが、
でも、実のところは、皆、それぞれの人生の数々の荒波を泳いできたのでは?と思うのです。
かつて、お嬢様と思われていたアーモンド(←自分で言うかっ(笑))も、色々と荒波を泳ぎ続け(笑)、
今や、少ない年金に今後のことを心配し、まだ、現役で仕事をしているシニアになっています。
それが人生・・・ですね😅
いやいや、それでも、この人生、そんなに、嫌いじゃありません💕
少なくなったシスター先生
同窓会誌を見ながら、感じることが他にもあります。
先生の中にシスターの姿が、ほとんど見かけなくなりました。
私たちの頃は、約半数が、シスターだったような。
それが、ミッションスクールの特徴でもありました。
日本ではキリスト教の福音宣教 (mission)を目的とする修道会や宣教会によって設立された学校を「ミッション・スクール (mission school) 」と呼び・・・
~Wikipedia~より
時代の流れというのでしょうか。。。
かつて、学校の敷地内に修道院が併設されており、多くの先生がそこで生活をされていました。
今もあるのかしら?
高3で母が急逝したとき、
ルルドの泉につけたと言うおメダイ(メダルのこと)や木製の小さなマリア像を、当時の校長先生だったシスターから頂きました。
優しい、優しいシスターでした。
戦後しばらくは、カトリック布教のため、ミッション系のスクールが次々と建てられたのだと思います。
そう言えば、幼稚園もミッションスクールでした。
その頃は、シスターをマザーと呼び、小さいながらも、青い目をしたマザー(外国の方が多かった)の腰からぶら下がっているロザリオに憧れていました。
ロザリオをアクセサリーと間違っていたのかも(>_<)
幼稚園の頃のマザーは、額の上にあるベールの一部が硬くなっていて、あの中には、「かまぼこの板」が入っているに違いないと、幼心に信じていたことがあります。
(キリスト教ではなく、何を信じとんや( ´∀` ))
5月になると、中高の階段の踊り場には、いつも美しい白百合が飾られていました。
5月は、マリア様の月、白百合は、マリア様の象徴。
真っ白で、清潔なイメージの白百合
5月になると、まだまだ、純粋だった若い頃を思い出すことがあります。
蔦がからまったお御堂と、ルルドのマリア様像、階段の白百合・・・皆で歌ったアベマリア
独特の雰囲気のなか、過ごした6年間を思い出すとき、胸の中がキューンとする、今やシニアのアーモンドです。
コメントなし