誰もが経験するであろう、愛する人との死別。
私も、衝撃的な別れを二度経験しました。
どちらの時も、真っ先に駆けつけてくれた友がいます。
今日は、その友のことをつぶやいてみようと思います。
私たちは、素敵な学び舎で出会いました♪
♬ 蔦の絡まるチャペルで、祈りをささげた日~♪
♪ 夢多かりし、あの頃の思い出をたどればぁ~♬
小学校入学当時、流行っていた、懐かしい曲、「学生時代」です。
歌詞が素敵で、大好きです。
私が通った中学、高等学校は、まさにこの歌詞通りでした。
白い校舎には、チャペルがあり、素敵なステンドグラスとルルドのマリア様。
私たちは、お御堂とよんでいて、放課後、チャペルで、祈りをささげていました。
うっとこ(←大阪弁で、うちの家)、真言宗ですねん。笑(←実家は、真言宗でした。)
だけど、学校に行けば、キリスト教一色。
(日本人の信仰心については、またの機会につぶやきたいな。。。)
当時は、修道院も学校の敷地内にあり、先生も半分程は、シスターでした。
綺麗な校舎、ステキな制服、上品な先輩達の姿に憧れ、ここの中学校を受験しました。
女子学生は、雰囲気に弱い(笑)
信仰心と言うより、雰囲気に酔いしれていました。
私たちは、この素敵な学び舎で出会い、6年間を共に過ごしました。
懐かしい、遠き日々のことです。
これから、待ち受ける様々な人生のできごとなんて、心配したこともなく、
「今ここ」が楽しかった、中一時代の出会いです。
共に居てくれる、グリーフケア。
夏休み、母との別れは、突然やってきました。
どこで、知ったのでしょうか。ひょっとしたら、テレビのニュースからかもしれません。
詳細は省略しますが(・・・今でも書けないなぁ。それ程、私には、衝撃的な出来事でした。)・・・まぁ、色々ありまして・・・事故として、ニュースが、流れたのです。
彼女は、神戸の北の端、私は兵庫の大阪寄り。
彼女の家からは、電車で、たぶん、2時間弱程、離れている距離でした。
私の家に来たことがなかった彼女、一人で駆けつけてくれました。
母が急逝した翌日、玄関で彼女を見た時、有難さ、辛さ、苦しみ、悲しさ、色んな感情が入り乱れ、複雑な思いのまま、私は飛びついて、大声で泣いたことを覚えています。
いつも、笑顔しか見せなかった彼女。しっかりと私を抱きしめてくれました。
数十年経った今も、覚えています。そして、有難かったなと。
それから・・・・26年後。
夫が亡くなった時、彼女は、やっぱり、神戸から、駆けつけてくれました。
真っ先に。
そして、あの時と同じように、私に寄り添ってくれました。
お通夜、お葬式を待たずに駆けつけ、共に居てくれたのです。
お互い、結婚後は、家庭、子育て等に追われ、会うこともままならなかったのですが、
私が絶望の淵で、倒れてしまいそうになったときには、すぐに駆けつけてくれたのです。
今でも続く、友達としての縁
出会いの不思議、不思議な出会い。
長く続いている私の人生。
最も、辛く、苦しく、もがいているときに、真っ先に駆けつけてくれる友がいる。
とても、有難い事です。
今でも、彼女とは、頻繁というわけにはいかないけれど、年に1日だけ、ランチをして、お喋りをしています。
彼女は、いつも笑顔の人。
おまけに、モデル並み、すごい美女でした。(←既に過去形?いや、今でも、いけてる!)
彼女から、人の悪口、陰口を聞いたこと、ほとんど、ありません。
(残念ながら、私は・・・・たまに…m(__)m)
ホントに素敵な女性です。飾らないし、サバサバしている。
素敵なチャペルのある、あの学び舎で、たまたま出会った二人。
同じクラス、身長が同じくらいと言うだけで、隣通しに。
そこから、スタートしたご縁。
悲しみの時に、いち早く駆けつけてくれた友。
人生を振り返った時、彼女の存在は、私の物語からは、はずせません。
お互い色々あった人生。
離れて生活していても、繋がっている!と実感できる友です。
私の人生に、出会ってくれて、ありがとう💓
♬ テニスコート、キャンプファイヤー、懐かしい日々は、かえらず~ ♪
♪ 素晴らしいあの頃、学生時代~、素晴らしいあの頃、学生時代 ♬
悲しみの時に、駆けつけてくれた友。
今日は、私の物語、名脇役の友について、つぶやいてみました。
最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました。では、また。
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