予告が流れ、偶然、知った「グリーフケアの時代に」というタイトルの映画。
グリーフ(悲嘆)ケアを行う団体や研究者、ケアを受ける人々のドキュメンタリー映画です。
研究所時代の友人達と一緒に観賞しようと予定していたのですが、それぞれのスケジュールが合わず、日曜日、一人で梅田に向かいました。
50代に出会ったグリーフケアの学び・・・修了して、既に10年の年月が流れています。
自分の悲しみ、そして、学びが、誰かの役に立てれば・・・そんな思いから勉強をスタートしました。
母、夫の死別後、生きること、死ぬこと、いのち、運命・・・等を色々と考えてきた私。
今回の映画には、当時、一緒にグループワークをしたメンバーや、研究所関係の先生も登場していました。
深い悲しみを経験した人が、深い悲しみのなかに居る人にそっと寄り添う。
映画の中では、ケアをする側の人々が、ご自身の悲嘆を語ります。
池田小学校事件被害者の母や、ご自身が次々と重い癌に罹患、闘病中に夫を自死で亡くされた女性、子供を突然、病で亡くした看護師さんなどなど。
研究所時代も同じように、複数の悲嘆を重ねながら一生懸命に生きている人々が集いました。
事故、事件で愛する人を亡くした方、自死遺族、ホスピスで働く看護師さんや医療事故相談員の看護師さん、僧侶や医者などなど。。。
多くの人と共に、悲嘆を学びました。
映画の中に、私の思いと重なる言葉も出てきました。
「悲しみは消えないけれど、自分の人生の中に織り込まれる」
母の死から既に50年近く、そして夫との別れから23年。
何度も書いてきましたが、ずいぶん時が流れてしまい、当時と今は、悲しみの形が大きく変化しています。
時が流れても、愛する人との死別の悲嘆が消えてしまったわけでは、ないのです。
悲しみは、決して、消えてしまうものではないと感じています。
悲しみの変容。。。
私の中に、母や夫との別れの悲しみが溶け込んでいる・・・その経験が、自分の中に溶け込んでいると感じるのです。
悲しみは、消えることはない。。。
遺族会などで、質問されることがありました。
「この悲しみは、いつまで続くのでしょうか?」
悲しみに特効薬はないのです。
悲しみは、波のように繰り返し、襲ってきます。
悲嘆は個別的なもので、一人一人違った形で現れるかも知れません。
私の場合、夫が亡くなった時、自分の人生も終わったと感じました。
やがて、悲しみの形は変わり、今では、悲しみを織り込んだ、自分の人生を生きている実感があります。
悲しみがなくなることはないけれど、形が変わって自分の中に溶け込んでいると感じています。
この映画には、遺族会や、サポート団体を立ち上げている人たちが登場しています。
私も、数年前まで、自死遺族会や、ホスピスで、ケアをする側として活動をしてきました。
今は、特別な活動はしていません。
悲嘆は、特別なものではなく、生活の中にあるもの。
今は、敢えて、活動をせずに、日常を生きています。
できることがあれば、出来る形で、さりげなく。。。そんな風にできればいいなと思っています。
映画を観て、一生懸命に勉強をした50代の私に再会したような気持ちになりました。
人生は、悲嘆の繰り返し。
映画の中の言葉が、響きます。
悲しむということは、悲しむに足る大切なものを知っているということ。
悲嘆の裏にあるのは、「愛」なんですね。
今日も、最後までお付き合い下さって、ありがとうございました。
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