諸行無常…世の中の全てのものは、一切変化し、変わらないものはない。。。
その通りだなぁ。。。
悲しみの形も変化していくように思います。
今日は、そのことについて、つぶやいてみます。
悲しみの特効薬、あればいい?
Twitterを覗くと、今まさに、人生のピンチにいる人たちの声を、目にします。
苦しい、悲しい、辛いと感じている人たちの多い事。
つくづく、どの人にとっても、生きることって大変なんだなぁと、あらためて思います。
死別直後の方に、この悲しみは、いつまで続くのでしょうか?と尋ねられることがあります。
私も夫と死別直後、強烈な孤独感や悲嘆に押しつぶされそうになっていました。
あれから23年。
私の悲しみの形もずいぶん変化をしてきました。
死別直後に、もがき苦しんでいた私は、ずいぶん楽になっています。
悲しみの形が変わってきたのだと思います。
いつかのブログにも書いてみましたが、残念だけれど、悲しみに特効薬はないのです。
死別直後の悲しみは、波のように行ったり来たり。
楽になったかと思うと、また、次の波がドーン!
そんな日々を繰り返しながら、時が流れていくのですね。
そして、特効薬がない分、ゆっくりと悲しみに向きあってきました。
ゆっくりと向き合ったからこそ、その悲しみが愛おしくなったり。
不思議です。
開けられなかったアルバム
ずいぶん、長い間、幸せだった頃のアルバムを開くことができませんでした。
夫がいて、子供たちがいて、とても幸せだった日々の記録。
開ける勇気がでなかったのです。
長く時間がかかったような気がします。10年くらいかかったかな?
気が付くと、アルバムを見ることが平気な私がいました。
無理やりアルバムを開かなくても、いつか、自然に見ている自分に気付く時がくるのですね。
「ア~、こんなに幸せな私がいたのだな」って、微笑みながら見ることができるから不思議です。
心の中が痛みではなく、暖かさで包まれながら、アルバムを開けるようになっています。
自分の人生、なかなか、幸せやん!って思いながら。
悲しみが溶け込む?
私のブログを読み返すと、愛する人との別れを経験した直後のことを書いたり、
今の私の生活の様子をつぶやいたり、色々な内容であることに気付きます。
今まさに苦しんでいる人もいるのに、こんなふざけた内容。。。どうかな?と思いながらも綴っています。
ホントの自分を書きたいのです。
地獄のような苦しさを経験した当時の私、そして、私の今。
いつの間にか、大声で笑っている自分に気付く日がきているのです。
「いつから? いつ頃から? 楽になるのですか?」と尋ねられても、わからないのです。
人の悲しみ方は、ホントに個別のものだと思うので。
私の場合は。。。。としか、答えることができません。
そして、私の場合は。。。。気がつけば、大声で笑っている自分がいるのです。
あの時の悲しみ、苦しみもホントの自分、そして、今の私もホントの姿。
私の中で、悲しみの形がずいぶんと変化してきました。
もし、今まさに、若い年齢で愛する人と死別を経験している人が、
このブログを見て、多少の違和感をもたれるかもしれません。
時が経過すると、こんなおちゃらけた内容をつぶやく日がきていると言う事、
そんな人もいると言う事実を知ってもらえれば。。。
そんな日が来るかも知れないと、そんな風に思ってもらえれば。
今でも、たまに、時をさかのぼり、あの頃のことを思い出します。
よく頑張ったな。。。。私。
そんな風に俯瞰して当時の姿を見ることができています。
もがき苦しんでいたとき、本を貪り読んだり、悲しみを書きなぐったり、私なりの形で悲嘆と向き合いました。
悲しみの渦に巻き込まれないように、必死に生きてきたような気がします。
そして、今の私。
夫や母との死別で経験した悲しみは、「私」と言う人間の中に溶け込んでいる実感があります。
人生で経験した色々なことが、自分の中に溶け込んで、今の「私」がいるのかな。
もちろん、今でも、振り返るには、厳しすぎることもあります。
そこは、蓋をして、無理やり覗こうとは思いません。
覗きたい時がくれば、勝手に蓋が開くのかなと思います。
開かないまま、私の人生が終わるかも。
それは、それで良し。それが、ありのままなのだから。
諸行無常。
だから、生きていくことができるのですね。
悲しみの形の変わり方、当時の私、そして今の私についてつぶやいてみました。
今日もお付き合い下さって、ありがとうございました。では、また。
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