「たまに、遠くを見ている目をするね。」
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若い頃、言われたことがありました。
先日、40年ぶりに、川越で、再会したYさんから。
大昔に。
・・・・・・・
不思議ですが、何十年も前の言葉が、私の記憶の中にとどまっているのです。
神戸のアパレルの会社に入社して少し経った頃。
当時は、華やかな、洗練された職場で、楽しく毎日をすごしていました。
入社した会社では、すぐにYさんと仲良くなり、人間関係にも問題なく、みんなと楽しく仕事をしながら、毎日を過ごしていました。
でも、彼女は、ちゃんと私の消えない悲しみを見抜いていました。
楽しい日々でも、ふとした隙間に、人生で経験した過酷なできごとが蘇る・・・
無意識にそんな「目」をしていたのかも知れません。
10代後半、母との壮絶な別れを経験した私。
消えない、別れの瞬間の記憶。
その後、高校時代、大学時代、そして入社した会社で、
たくさんの人たちに囲まれて、楽しく生活をしていたけれど、
実は、心の中には、消せない悲しみを抱えていました。
彼女は、ちゃんと見抜いていたようです。
その後、彼女の家に遊びに行ったとき、
高校時代の辛い経験を話しました。
偶然・・・
ホントに偶然ですが、彼女も同じ頃に、お母様と悲しい別れを経験していました。
だからこそ、私の遠くを見る目に気づいたのかな。。。
先日、再会したときは、そんな話は、一言もしませんでした。
でも、私は、今でも覚えているのです。
彼女からの言葉「遠くを見る目をしている」を、私は、忘れずに生きていました。
悲しみを抱えながら、それでも・・・生きる。
悲しみは消えない。
にもかかわらず、生きていく。
それが、人生なのかなぁ。
以前に、諸行無常だから、生きていけると呟きました。
人生での出来事、起った事実を消すことはできない。
そのことを抱えながら・・・
にもかかわらず、生きていく。
悲しいできごとは、決して消すことはできないけれど、
そこにいつまでも留まっていては、しんどい。。。。。
いつまでも留まっているのは、嫌。
忘れられない事実、その事実は消えない。
そのことを抱きながら、自分の人生を生きたい。
そんな風に、私は、思って生きてきました。
「にもかかわらず・・・」
自分の人生を納得しながら生きていきたい。
私風の生き方です。
だから、それが正解かどうかは、わからない。
いや、悲しみ方に正解も不正解も、そもそもないのだから。
遅い夏休みにYさんと再会し、遠い遠い日の、彼女の言葉を思い出しました。
今でも、遠くを見る目をしていること、あるかもなぁ。。。
それは、消すことのできない悲しい過去を、心の中で見つめている瞬間なのかな。
にもかかわらず、生きていく。
これからも、できるだけ、楽しく残された人生を生きたいと思うアーモンドです。
暑い暑い夏が過ぎ、秋風に吹かれながら、
思い出したYさんの言葉でした。
アーモンドの旅は、これからも続きます。


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