生きる意味など探さなくても、人は十分幸せに生きられると、南直哉老師。
かたや、人生に意味を回復させるV・E・フランクルの「ロゴセラピー」を読んだことも。
果たして、人生に意味はあるのか、ないのか・・・・。
人それぞれの考え方なのかも知れませんね。
ところで、私は、以前、「意味ある人生」に関する大失敗をし、その落とし穴に落ちたことがあります。
今日はそのことについて、つぶやいてみます。
アンネ と V・E・フランクル。
『アンネの日記』の主人公、アンネの親友、ハンナが先日、93歳で亡くなられたそうです。
アンネが生きていたら、93歳になるのですね。でもアンネは、永遠の16歳。
ナチスのホロコーストから身を守るため、隠れ家に潜みながら、書かれたアンネの日記。
中学時代の私は、彼女が書いた日記を夢中で、読みました。
そして、大人になった私は、同じくナチスからの迫害を受け、強制収容所を体験した心理学者フランクルが、書いた「夜と霧」を読みました。こちらも忘れられない本の一冊です。
「人間とは何か」をテーマに書かれた作品です。
壮絶な体験をしたV・E・フランクルは、心理療法として、生きる意味を回復する療法を提唱しています。
生きる意味を問うてはならないのです。人生こそが問いを出し、私達に問いを提起しているからです。私達は問われている存在なのです。
「それでも人生にイエスと言う」より
この本を読んだ当時の私は、自分の人生が、何を私に問うているのか、考えたものです。←真面目な私
私の大失敗。「人生の意味」の落とし穴
自死遺族会でボランティアをしているとき、参加されたある方の話を傾聴していたときのことです。
その方は、お子様の一人が重度の障害を持たれており、もう一人のお子様が自死されたという、壮絶な経験をされていました。
話を一通りお聞きした後、私が発した言葉・・・・
「お子様たちは、お母さまにあなたを選ばれて生まれて来られたのかも・・・」
ちょうど、その頃、フランクルの本を読んでいた時期と重なっていたのかも。
すぐに、遺族会の主催者から注意を受け、私自身、「はっ!」としました。
私、傾聴の何を学んできたのでしょう! 何があるがままの傾聴なのでしょう。
あろうことか、自分以外の方の人生に意味を付けてしまおうとした私。
すぐに、失言に気づき、お詫びしました。
大失敗!ほんとに未熟な自分に、大反省。そんな苦い思い出があります。
人生の意味についての落とし穴。自分で掘って、落ちてしまいました。
人生に意味は必要か、不要か。。。。
意味があるか、ないかという基準の判断?
これを深く考えると、なんだか難しいぞ!
当時の私は、フランクルの本を読んで、人生の意味について、考えたりしていたけれど、
今の私は、南直哉老師の、「人生に意味など探さなくても十分幸せに生きられる」と言うのがいいな。
こちらも捨てがたい・・・・
人それぞれ、しかもその時々でいいのかな?
相変わらず、ふらふら、よたよたしている私。(足だけではありません、考え方も。笑)
フランクルも好き、直哉老師の教えも好き。
さて、どうする?私?
まぁ、自分の人生、意味を見つけるもよし、見つけなくても、それはそれでよし!なのかな。
ただ、言えることは、他人の人生に、意味をつけるなんて、もってのほか。
大いに反省をしている私です。
生きる意味について考えているうち、過去の大失敗を思い出しました。
トホホ・・・・
穴があったら入りたい・・・いや、あんた、既に自分で掘った落とし穴に入っとるで!と言われそうな失敗談。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
では、また。
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