先日来、知人の訃報、知人の伴侶の訃報が届きました。
そして、アリスのチンペイ、もんたよしのりさん、BUCK-TICKの櫻井敦司さんなど、芸能界でも急逝の報道が続きました。
悲しい知らせが増える年齢になりました。
なんだかなぁ・・・寂しいなぁ。
どんな人にも与えらて、平等の運命は「死」
「人間、どんな人にも与えられて平等の運命は死ぬことよ」とさらりと仰った瀬戸内寂聴さん。
生きたからには、死が訪れるのですね。あなたも。そして、私も。。。
愛する人との別れを経験した方が、周りに増えてくる、そんな年齢です。
少し早く愛する人と死別を経験した私。
シニアになって、人生を振り返っても、やっぱり、2回の死別経験が強烈な印象になっています。
突然亡くなった母と、そして余命宣告から一ヶ月あまりで旅立った夫。
2回だけ? 実は、父の死も経験しています。
父は、今から12年前に83歳で亡くなりました。
この時は? この時は、夫や母の時と全く悲嘆の質が違ったように感じています。
もちろん、父のことも愛していたのです。
父は、83歳という年齢、そして、ずっと要介護5の状態が続き、最後の方は、あの世に行ったり来たりしているように、私には見えました。
心の準備が私にできていたこと、そして、83年生き切った感が、私の中でしたのです。
「お疲れ様💓」という感じで見送ったのです。
勿論、その後、父への親孝行についての後悔は、たくさんありました。
ですが、激しい悲嘆感情に襲われず、穏やかな別れだったと思うのです。
悲嘆は、個別性が高く、人それぞれ。
高齢の親が亡くなっても、激しい悲嘆に襲われる人も、もちらん、いらっしゃるのです。
悲嘆の渦の中にいる人への言葉がけ
ところで、知人友人が悲嘆に襲われている時、なんとかしてあげたい、手助けしたいと思うことがあります。
ところが、これが、なかなか難しい。
私自身も、悲しみに追い打ちをかけるような言葉に傷づいたことが、ありました。
良かれと思って発する言葉、それなのに、相手を傷つけてしまう言葉って、どんなものがあるのでしょうか。
アルフォンス・デーケン先生の著書『〈突然の死〉とグリーフケア』の中に、愛する人との死別者とのコミュニケーションの妨げになる言葉がいくつか載っていました。
①「がんばろう」
②「泣いてはだめ」
③「早く元気になってね」
④「私にはあなたの苦しみがよく理解できる」
⑤「あなただけじゃない」「あなたのほうがまだまし」
⑥「もう立ち直れた?」
⑦「時が全てを癒すから大丈夫!」
⑧「悪業の報いだ」「先祖の祟りだろう」
⑨「長い間苦しまなくてよかったね」
ほんとに、どの口が! (# ゚Д゚)
でも、やってしまうこと、あるんですよね。
他にも、「私なら、耐えられない!」とか、「側についてて、何をしていたの?」とか・・・
「そんなに悲しんでいると、天国のご主人がかわいそうよ」とか・・・
あるある。。。です。私も、そんな声をかけられた経験者です⤵
頼むから、Shut up!
お願いだから、そっとしておいてください😢
たぶん、たぶん、悪気はないのでしょうけれど、(悪気があったら、大変や!)悲しみに襲われている人の前で、かける言葉に迷い、咄嗟に出てしまうこともあるのかも。。。居心地の悪さからの自己防衛なのかな。
相手の方を向かず、自分自身が楽になりたいから? 向いているのは、自分自身?
悲しき「悲しみ比べ」
「あなたのほうが、まだまし」という言葉。
悲しき、悲しみ比べです。
これは、本当に気をつけないと、遺族会などでも、注意事項として皆さんに伝えてました。
私の夫や母に対する悲嘆と、父に対する悲嘆は、質が違うと先ほど書きました。
それは、自分のなかでそう感じるからです。
他人から、比べられると、やっぱり、しっくりこないと思います。
「高齢だから」、「突然ではないから」、などと安易に他人の悲しみの深さを決めつけることは、決してできないし、してはいけないことだと思います。
色々、書きましたが、言葉自体のマニュアル化も不自然ですし、要は、相手に届くか、届かないかと言う事だと思うのです。
以前にブログに書きましたが、「がんばろうね」と言われた時、私の中に、温かさが伝わった経験もしています。
その言葉の中に、どれだけの「こころ」が入っているか。
そこに愛はあるのかぁ!
私たちは日常の経験から、すぐ言葉に頼りたくなるのです。頭の中でグルグル考えて、発する言葉。 心より、頭優先で考えるのでしょうか?何よりもいけないのは、頭のレベルだけで空疎な会話をすることでしょう。死は合理的に「問題」として解決することはできない深い「神秘」に属します。頭のレベルではなく、心のレベルでコミュニケートするのが一番大切です。
『〈突然の死〉とグリーフケア』より
難しいですね。
ただ、そっと、悲しみに耳を傾けることができるようになりたい。
そんな人でありたい。
そんな風に思いながら、ブログを書いています。
自分自身へも言い効かせながら・・・。
私も、ついつい余計な言葉を言ってしまうことがあるので・・・
今日は相次ぐ、悲しみの知らせに、あらためて、死別当時を思い出し、色々と書いてみました。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
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