秋もそろそろ、終盤。
公園を彩り、通勤途中に私を楽しませてくれた紅葉、葉っぱが、ハラハラと舞い落ちてます。
それでも、今度は、色とりどりの落ち葉として、私を楽しませてくれています💓
私にも、人生を彩どってくれた、たくさんの出会いがありました。
今日は、私の物語の脇役達への思いについて、つぶやいてみようと思います。
小さな物語の主人公
学生時代、さだまさしの「主人公」の歌が大好きでした。
上手い事、言うよね・・・人生の主人公は「自分」・・・当時の私は、えらく感動したものでした。
今なら、当たり前のように、「人生の主人公は自分だ」って、みんな、口にしていますが。
(それにしても、さだまさしの詩は、素敵です。)
♬ 小さな物語でも、自分の人生の中では、誰もがみな主人公 ♬
♬ あなたの眩しい笑顔と友達の笑い声に抱かれて、私は、いつでも必ずきらめいていた ♬
そうなんですよね。私が今まで、生きて来られたのは、まわりの人たちの支えと友達の笑い声だったのです。
今更ですが、人生の秋を生きている今頃になって、そう思うようになりました。
そして、ブログを書き出して、なおさら、そう思うことが多くなりました。
ブログの力ですね。自分のこと、人生のことを、見つめるようになったのですから。
私の小さな物語のわき役たち。 出会えてよかった!
私の物語の人物相関図
以前にも書きましたが、グリーフケア研究所での専門職養成プログラムに「生育歴の語り」というものがありました。
このプログラムには、自分の家系図を資料として準備します。自分を中心に夫、子供、父母、兄弟、おじおば、祖父母など書き、亡くなった人には●、生存者には〇の印をいれました。
自分を知るため、深めるために使ったのです。
同じように、人生の出会った人との相関図を作ってみると、自分が、いかにたくさんの人たちと出会い、支えられてきたか振り返ることができそうですね。(残念ながら、その逆もあったりしますが)
相関図がグチャグチャになる位、たくさんの人と出会ってきたわけですが、
キーパーソンだけを記入していくと、今の自分がよくわかるような気がしているのです。
南直哉老師が語っていたように、自分を決定づけるのは、他者とのかかわりしかないのだとしたら、相関図を書くことにより、不確かな自分が、少しはわかってくるような気がします。
私の物語の名脇役たち
たくさんの人が、私の物語の脇役として登場してくれました。
振り返ると、悪役が少ないのも、私の人生の特徴かも知れません。
いや、思い出せないけど、登場していたのかも? 嫌なことは忘れるタイプ(笑)
それだけ、ご縁に恵まれていたのだと思います。
人生の出会いや運命は自分の力ではどうしようもない所が大きいですものね。
母の死や、一家離散、夫との死別、子の不登校と発達障害の問題・・・・
出来事としては、色々なハードルがあった人生ですが、悲劇にはならないのです。
いや、悲劇もあったのは、事実。しかも、私にとっては大き過ぎる悲劇。
でも、悲劇では、終わらないような気がするのです。(今のところ。そうあって欲しい 笑)
それには、名わき役の力が大きいのだと、今更ながら気づき、感謝しているのです。
通行人役だけど、忘れられない人
出会いの不思議、不思議な出会い。
通行人役、関係性が少なかったけれど、忘れられない人たちがいます。
一家離散中(←変な使い方 笑)、私と兄が暮らしたアパート。
おむかいさんに、中年の夫婦が住んでいました。
学生だったので、私も兄も近所付き合いなど皆無でした。
父と3人で暮らせるようになり、新たな新居への引っ越し当日。
バタバタと片付けや荷物を持ち出しているとき、
私たち兄妹に、冷たいジュースと、綺麗な手縫いの雑巾を差し入れてくれたのです。
挨拶程度、会話をしたことなど、ほとんどなかったのですが、
借金取り(債権者)がウロウロしていたり、兄と私の喧嘩の声などを聞いて、
なにやら、事情のありそうな兄妹たち。。。。と思われていたのかもしれません。
簡単なお別れの言葉と、差し入れて下さったジュースと雑巾。
人生の中の一瞬の出来事だったのですが、私は今でも覚えているのです。
有難さ、人の温かさ。。。。あの方たち、今はどうされているのでしょうか。
顔も名前も、思い出せないのですが、ご恩だけはしっかりと。
本当に、ありがとうございました。
通行人役として、人生を彩ってくださった、忘れられないご夫婦です。
不思議な出会い、出会いの不思議。
今日は、私の人生を彩ってくださった名脇役達と通行人について、つぶやいてみました。
私も誰かの物語の、脇役であり、通行人役なんですね。
出会いの不思議、不思議な出会い。
今日も最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました、では。
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