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☆あの世のはなし

メメントモリ
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死後の世界?

あるのか、ないのか?

いろいろな本や番組を見ましたが、結局、わからない。

先に逝ってしまった愛する人たち。今、どこにいるのかしら?

どこかで元気で(?)いてくれたら、いいなぁ。・・・

いつの日か、必ず会えると信じつつ、

今日は、あの世について、つぶやいてみます。

死別直後に望んだ「あの世」

母や夫と死別したとき、どこかに必ず存在していると信じていた私。

それは、今も同じで、いつか会いたいと願っています。

肉体が亡くなってしまっても、魂が残っている。。。

そう信じて、お盆の行事などがあるのですよね。

きゅうりに乗って先祖が帰ってきたり、ナスに乗ってあの世に帰って行ったり。

「迎え火」「送り火」を焚いたり、いろんなものをお供えしたり。

「あの世」がなければ、わざわざ、そんな行事もないのかも・・・。

そして、ワタクシ、不思議な体験もしました。

夫の死後、ずっと、夫の部屋のテレビ台から「軋み音」が鳴っていたのです。

まぁ、ボロくて(笑)軋んでいただけかも知れないのですが、頻繁にバキバキなっていました。

それも、かなり大きな音で。

夫が元気だった頃は、このテレビ台から軋み音なんて聞こえなかった。(はず)

覚えていないだけかもしれませんが。。。

怖い!という感覚はなく、「あ~、お父さん(夫)が、存在を伝えているな。」と感じていました。

不思議・・・・ですね。 ラップ音だったのかも。

そして、ある程度の月日が流れて、気がつくと、軋み音は聞こえなくなりました。

夫も、この世の周りをウロウロする時期(49日?)が過ぎ、天国かお浄土にちゃんと辿り着いたのでしょうか。

それなら、良かった!

臨死体験の本

あの「知の巨人」と呼ばれた立花隆さんの著書、「臨死体験」を死別後に読みました。

上下2冊、かなりボリュームのある本ですが、あの立花隆さんが書いているという所に説得力を感じ、読破しました。

そして、以前、ブログにアップした、「死ぬ瞬間」で有名なエリザベス・キューブラー・ロスも死後の生について書かれている本を出しています。

色々な書物や番組から、私も死後の世界を信じたいと思う気持ちが強まった頃です。

ちょうど、その頃(?それより少し前にヒットしたかも。。。)、シャーリーマクレーンの「アウト・オン・ア・リム」という本を読むなど、死別直後には、かなり精神世界関係の本を読んでいました。

私が勉強をしたスピリチュアルケアとは、全く違う意味のオカルト的なスピリチュアル。

精神世界に浸っていた時期でした。

とにかく、夫の死後の存在について、はっきりと肯定したかったのだと思います。

そう言えば、私、30代のころ、英国スピリチュアルリズムに興味があり、「シルバーバーチの霊訓」を全巻、読んだことがあります。

あ~、当時から、死後の世界に興味ありありだったのだなぁ。

夫と交信できるかも・・・

死別直後、隣町の心療内科の一部で、死別した人と交信できると言う情報を得ました。

今から思うと心療内科の場所を使うのは、不思議ですが、たまたま場所を借りていただけなのか。

それも記憶にはありません。交信されるのが、どなただったのかは、すっかり、忘れました。

(こちらも、既に遠い昔? 20年程前のこと、記憶が曖昧ですが、)

申し込んだ記憶だけは、はっきりと覚えています。

当時、かなり人気があったようです。既に2年待ち。2年もかかるんだ・・・・。もちろん、待つつもりでした。

そして、既に申し込んだことも忘れそうになった頃、順番が回ってきたと、連絡がありました。

多くの人が交信できますが、なかには失敗することも・・・などの説明を受けました。

いざ、番が回ってきたら、そのときは、「もう、必要ないな。」と直感的に思い、断ったことを思い出します。

何故断ったのか・・・・もう、交信しなくても、いいかなと感じたのかな。

なんか不思議。あれだけ、望んでいたのに。

ゴータマ・ブッダの「無記」

そして、今も私は、生きています。

死別直後から、かなりの時間も流れました。

よって、「あの世」について、私の中で、考え方が少しづつ変化しているように思います。

死別直後は、どこかに愛する人が元気でいる(?)と信じたい自分がいて、精神世界の本や、臨死体験の本を夢中になって読んでいました。

死をどこかで受け留めきれてなかったのかなと思います。

死後の世界をゴータマ・ブッダは、「無記」・・・その質問には答えないということ。

口で言ってもわからないから言わないとのこと。

先日、ブログで著書を紹介した南直哉老師も、次のように語られている。

死後問題にまともに答えるとおかしなことになる。なぜなら、答える人は例外なく生きているからである。死んだ人間が出て来てインタビューに応じるならともかく、生きている人が「死後」について語れるわけがない。それは生きている人が、生きている間に、生きている経験として、話すことである。「死後」とはまったく関係ない。
 ということは、死後の世界や霊魂について、誰が何を言おうと、それが正しいか間違っているか判断する基準が無いわけで、だからブッダは答えなかったのである。

考える人 お坊さんらしくない南直哉 より

私もこれにする(笑) 

わからんものは、答えようがない。今は、この説?が、私には、しっくりくる。

何故ならば、生きている私は、死んだことがないのだから。。。。

以前、何処かで読んだ記憶があります。

「大海の中の一滴の雫になる」 要するに「我」がなくなって、全ての中に溶けこむ説。

この説も、いいかも・・・・けど、まだまだ自我の強い私。

自分がなくなるのが怖い!なぁ。  まだまだやなぁ。(笑)

あの世は、脳の問題か、はたまた実際に存在するのか・・・・。

秋の夜長。。。皆既月食を横目に、今日は、「あの世」についてつぶやいてみました。

最後までお付き合いくださって、有難うございました。では。


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