YouTubeで、河合隼雄さんが語っている番組「ユングの心理学」を拝聴しました。
遅まきながら心理学に興味が出た50代当時、私は、河合先生に大はまりしてました。
中年の危機
河合先生に、はまっていたのは、人生の中で、生きるのに疲れていた頃です。
本を読むことによって、河合先生にカウンセリングを受けているような気になっていました。←ぜいたくぅ!
河合隼雄プロフィール
1952年京都大学理学部卒業後、アメリカ留学を経て、スイスユング研究所で日本人として初めて、ユング派分析家の資格を取得。その後、国際箱庭学会や日本臨床心理士会の設立等、国内外におけるユング分析心理学の理解と実践に貢献。
~ 河合隼雄財団HPより ~
YouTubeの「ユング心理学」を聴いているうちに、自分の人生と重ねていました。
「中年の危機」については、以前にも書いたことがありましたが、
ユングは、人生の中年期は、それまでの価値観や人生観が揺らぎ、自己の存在意義や今後の生き方について深く考察する時期だと唱えています。
自分の人生を、振り返ってみると、私の場合はその通り。
44歳に人生、最大のピンチがやってきました。
そして、その後も、生きにくさを伴った高い壁が次々とやってきました。
そして、色々と悩み、涙し、考えて、考えて、考えて・・・・・
いつの間にか、危機を脱出していったような気がします。
「時が来る」
一挙にマイナスのことが一つの家に集まると言うのは、よくある話だそうで、
例えば、一家の大黒柱が事故にあい、子供が不登校になり、嫁姑問題でこじれるなどなど。。。。。
河合先生は、例を挙げて説明をしてくださっています。
そういうマイナス面が次々とやってきたときが、「本当の意味の人生の内面」を考えるタイミングなのではないかと。
症状だけにふりまわされず、人生の内面を考えること。
そのタイミングで、人生は各人に布石をもって迫ってくるが、
「単なるできごとのみに気をとられず、何故、そうなっているのかを、深く探ることが大切なのでは。」と河合先生。
「真の人生の内面」を考えるタイミング。
時の意味
どうして、この時なのか
誰かが、操っているように、ピタッとこの時期に集中することの不思議。
面白いのは、ユングが次のように語るのです。
「実は、我々の自己(無意識の自分)がアレンジしているのでは?」と👀
44才の私にも「時がきた」
そう言えば・・・・・・・・・・・・
不幸が押し寄せてきたとき、
私は、何故、自分ばっかり。。。。。。。。と思い、
「人間」について深く知りたいと心理学を学び始めたっけ。
そして、山のように河合先生の本を読み漁り、人間とは?生きるとは?死ぬとは?人の心とは?と考えていたものです。
44歳の私に「時が、きた」のでした。
それは、簡単に解決できない問題ばかり、悩んで苦しんで、苦しんで、悩んで。。。。。
人間の魂の問題を真剣に考えているのかと問われたような気がするのです。
生きるとは何か どう考えるか
生きることを創造しろと迫られていたのかも。
そして、河合先生は、語るのです。
一見、マイナスに見えることがプラスになることがある。
マイナスなできごとが、自分を深め、プラスに転じることになるのかな。
自己実現の過程は、どんなに凄まじく、大変かと河合先生。
物質を超えている大問題に遭遇したら、簡単に解決策を出して、物質的に終わらせるのではなく、
大いに、悩むこと。そこに、意味があるとも言えるのですね。(←えらく、しんどいけどねぇ)
シニアになった今、考えること
さて、
18歳の時にも、実は、次々と、私に「その時」はやってきました。
エリザベス・キューブラーロスの「死ぬ瞬間」の本を買って読んだり、それなりに悩んでいたけれど・・・
悲しくて、悲しくて、「人間が死ぬことについて」をものすごく考えていたけれど、
「若さ」という宝物を持っていた私。
人生の春は、温かい友人や社会に囲まれて、悩みながらも、知らない間に、通り過ぎました。
そして、
嵐のような中年期は、ずいぶん前に、過ぎてしまい、
気がつくと、既に、シニア年齢に突入。
はて? 今、私は?
ご縁のある人たちに囲まれながら、
少し先の未来に人参🥕をぶら下げ、残された人生を楽しく生きているのですが、
実は、やや、むなしさを感じているのも事実。
せっかく、このタイミングで観た、河合先生のYouTube番組、
歳をとることの意味 生きることの意味を考えながら、
これからも、私なりの生き方を創造していこうかな。
「歳をとって、なんで、わたしは、生きているんや」と。。。。。。。。。。。。
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