今年もたくさんの方と出会いがありました。
仕事柄、人と出会う機会が、通常より多いのです。
数は多くても、あっさりとした出会いがほとんどです。
お会いしている時間は、大切にしています。(しているつもり・・・です)
先週のことでした。
その時も、いつものように少しお話を聴きながら、通常の業務をしていました。
仕事上の業務が終わろうとした頃、
初めてお会いするAさん(女性)が、つぶやきました。
「わたし・・・夫が心臓まひで急逝したんです。この先、どうやって生きていくのか不安で・・・」
・・・・・・じっと、その方の目を見つめると、うっすらと涙。
「子供が二人いて、寂しくて、不安で。でも、頑張って生きていかないと・・・・」
最初から、笑顔が素敵な、好印象の女性でした。
お話を聴くまで、そんなに辛い状況にいらっしゃることは想像できないほどの笑顔だったのです。
しばらくの間、お話に耳を傾けてました。
普段の仕事では、私は、自分のことを話すことはしません。
ですが、そのときに咄嗟にでた私の言葉は、
「実は、私も、同じような経験があるのです。ずいぶん、昔の話ですが。」
彼女の表情が少し変わりました。
私の口から不意に出た言葉です。
続けて、「大変ですね。不安だったり、寂しくなったり・・・
色々、辛い経験があって、私は、強くなりました。
大丈夫!なんとかなります。」
考えた言葉ではなく、自然に口に出た言葉でした。
考えていたら、「そんな無責任な・・・」と思って、言葉にはならなかったと思います。
彼女の表情が少しだけ、明るくなったような…気がしました。
最後に、「アーモンドさん!私の手を握ってください!」と言われました。
今まで仕事で、対面した方の手を触ったことは、一度もありません。
躊躇なく、差し出された手を両側から包みました。
ところが・・・・・・・・
彼女の手の方がずっと私の手より、温かかったのです。
「うわっ!私の手の方が冷たいですねっ!」とアーモンド。
「こんなに温かい手をしている!大丈夫!これからもきっと大丈夫!」
不意にそんな言葉が口にでました。
笑顔にもどった彼女は、立ち上がり、ペコリと頭を下げて、離席されました。
印象に残った出来事でした。
今年の秋は、数年前に一緒に仕事をしていた方のご主人の訃報が届きました。
まだ30代。働き盛りの年代で、出勤途中に突然、大動脈解離で亡くなられたとのこと。
愛する妻と5歳の子供を遺されて。
仏教ではこの世は苦だと説いています。
苦には四苦八苦があるとされ、四苦とは生老病死であり、その上に愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦を合わせて八苦と言われています。
愛別離苦・・・愛する者と別れる苦しみ
瀬戸内寂聴さんは次のように語られています。
私は人間の四苦八苦のなかで最も辛いものは愛別離苦ではないかと思う。…中略・・・愛するということは、相手とできるだけ長くいっしょに居たいと願うことであらゆる喜びや悲しみを共有したいと願うことであり、ふたりで暮らす時間を永遠にしたい切望である
…中略・・・
亡くなった人の霊魂は残された人の幸せを祈ってくれている筈である。
~新寂庵説法ー愛なくばーより~
夫と死別した直後に貪るように読んだ本の中の1冊です。
経験をしてみないと、わからない。こんな苦しみが世の中にあることを。
ですが、(上記引用文の)最後の、一行が私の救いになりました。
『亡くなった人の霊魂は残された人の幸せを祈ってくれている筈である。』
今年も、たくさんの方が、配偶者や子、親、兄弟、友人など、愛する人との別れを経験されたと思います。
長い闘病の末、もしくは、老衰、事件に巻き込まれたり、事故にあったり、そして自死されたり。
100人いれば、100人の悲しみがあると思います。
亡くなった人の霊魂は残された人の幸せを祈ってくれていると、私は信じています。
そして、そう祈りたいと、思います。
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