薄紅色の可愛い君のね
君と好きな人が 百年続きますように
今年も大好きなハナミズキの花が、咲きだしました。
はなみずきの花言葉は、「永続性」
若さが、永遠に続けば・・・と思うこともしばしば。
そうは、上手くできてないですよね(笑)
若い頃は、朝型タイプだったのに
最近、少しずつ、やる気が出ないことが増えてきたような。。。。。
まず、なかなかスッと起き上がれない。
目が覚めても、お布団のなかで、グダグダしています。
若い頃は、朝型人間。
早朝に起床、出勤前に、当時、流行していたラケットボール教室に通い、スポーツクラブ内の朝ぶろに入ってから、出勤。
なんとも優雅(笑)
また、別の日には、社内の早朝英会話レッスンに通ったり。(残念ながら身につかず(笑))
色々、行動的に時間を使っていました。
あの元気さとやる気は、今、何処?
そりゃそうだ。もうあれから40年が過ぎています。
こんな風に、年月が過ぎ、やがて人生に終止符が打たれるのですねぇ。
でも、歳を重ねるのは、もちろん、悪い事ばかりではないと思うこともあります。
若い頃には、気がつかなかったことを、少しづつ経験をして、気づき、受け入れると言うこともあるようです。
生きることの意味がかくれてる
それはそうだよねぇ。
それでないと、生きている意味なんてないような気がします。
いや、生きている意味があるのかないのか、未だにわからんけれど、
生きることのヒントは、たび重ねた色々な経験の中に隠されているような気が、なんとなく、するのです。
なんとなく…という、これまたいい加減な答えですが(笑)
そうこうしている内に、私も齢68歳。
人生の黄金期まっしぐら。
実に、光陰矢の如しです。
まぁ、いいか
大竹しのぶさんのエッセイが、毎週末、夕刊に掲載されていて、楽しみにしています。
タイトルもいいなぁ。
「まあ、いいか」
色んな事があって、「あちゃ!」というような失敗も重ねるけれど、「まあ、いいか」(笑)
自分を救ってくれる優しい言葉ですね。
先週のエッセイは、大竹さんの高校時代の同窓会のお話。
そこには先生が何人もいた(髪の毛が薄くなり先生の頭と似てる同級生)とか、時を超えて、高校時代にすぐに戻れる話とか。
同窓会あるあるで、読みながら大いに共感していました。
ほぼほぼ同い年のしのぶさん、私の気持ちにも近いものがあります。
楽しい、懐かしいだけではなく、同窓会では、仲間の訃報も届きます。
その悲しい知らせも、皆、静かに受け入れる。そんな年齢になったと、しのぶさんは、表現されていました。
さんまさんと結婚される前に、愛する夫さんを新婚時代に亡くされている大竹さんです。
皆、それぞれに年齢を重ね、同級生も、家族や知人との悲しい別れを経験されている。
だからこそ、友の死を静かに受け入れることができる。。。
そんな年齢になったと。
受け入れることができてきた?
30代の頃に届いた同級生の訃報には、大きなショックを受けました。
それから、何人もの友があちらの世界に旅立ちました。
友だけではありません。
愛する家族、夫も父も、早逝した母に続き、あちらの世界へ。
やがて、自分の人生にも終わりがやってくるということを、いつからか、少しづつ、受け入れているような気がします。
それでも、死期が具体的にわかると、大騒ぎするかも。。。
ま・・・それは、その時にならないと、わからないけれど・・・(笑)
大竹さんのエッセイを読みながら、年齢を重ねるということの意味を改めて、思ったりしました。
色々なことを経験し、
それは、楽しい事、嬉しい事、それだけではなく、魂をつぶされそうになる悲しい経験も含まれます。
そうやって、歳を重ねて、見えてくることがあるんだな・・・
悲観することだけではなく・・・成長の軌跡を実感することがあるのかも・・・
知らんけど(笑)
今日は、歳を重ねるということについて、呟いてみました。
お付き合いくださって、ありがとうございました。
では、また。
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