シニアになると、学生時代の友や、先輩、後輩の訃報が届くようになりました。
そうなると、自分の「死」を考えることも、以前より増えてきたように思います。
独り老後と家族に囲まれての老後
以前、ビジネス雑誌「プレジデント」に、在宅緩和ケア医、萬田緑平氏の興味深い話が載っていました。
実は、独り暮らしの方が、家族に囲まれているより「楽に死ねる」と。
独り暮らしの方が、楽に最期を迎えられる。。。。
ほんまかいな。。。。。。
家族の愛が、実は、楽に死ねることを邪魔してしまうことがあるようです。
まだまだ生きて欲しいと願う家族は、本人の意に沿わない治療を望んだり、延命治療を選択したりすることがあるそうです。
そうだよね。
愛する家族は、いつまでも生きていて欲しい。。。。。そう願うのは、当たり前のような気がするのですが、
実は、これが、本人が楽に死ねないことに繋がっていることもあるそうです。
萬田医師曰く、「自然に死んでいく事ができれば、死は決して苦しいものではない」と。
夜中に一人で旅立った父
そこで思い出すのは、父のこと。
私の父は、喉頭がんに苦しみ、最終的にはパーキンソンを発症。
人生の最後は、要介護5。
本人と義母(父の再婚相手)の意志で、ヘルパーさんや、訪問医、看護師の力を借りて、最期まで自宅で看ることに決めていました。
父が亡くなったのは、真夜中。
誰も気づかず、独りで旅立ちました。
これ(夜中)が、良かったのかも知れません。
最期まで家で・・・と言っても、苦しそうにしている姿を見ると、最終的には、家族は救急車を呼び、病院に搬送となり、管に繋がれ、延命治療に入っていたかも知れないなと・・・
義母は、食べられない父に、「食べないと死んでしまう」と無理やり、食べ物を押し込んでいたことがありました。
食べて欲しい、生きて欲しいと言う愛情から。。。
私には、やや拷問に近いように見えたのです。
食べることを拒否した父の口から出た物をティッシュに包み、こっそりと、ゴミ箱に捨てたことも。
父が食べやすいように刻んだり、流動食にしてくれた義母の愛情も、私に伝わっていたので、こっそりと。。。
誰も傷つかないように。。。
生きることも大変だけど、死ぬことも、なかなか大変です。
ふっ。
家族の愛と本人の意志
ホスピスでの話です。
50代の女性の患者さんが、いらっしゃいました。
痛みや苦しみを上手にコントロールされていたのですが、最後の数日間は、とても、しんどそうにされていました。
母親思いの娘さんが毎日のように、看病に来られていたのですが、
ある日、治療につながるからと、知人から紹介された飲み薬(民間療法による飲み物)を母親に飲んでもらいたいと持って来られました。
患者さんご本人は、死を受け入れ、
もう飲みこむことは、大変だからと、娘さんが持ってきた薬を拒否をされていたのですが、
最終的には、娘さんの愛情に負けて、薬を飲むことを選ばれました。
その数日後に、ご本人は、亡くなられました。
なんだか、娘さんの愛と、お母様の苦しみに、胸が締め付けられる気持ちになったことを思い出しました。
家族の愛、その愛は、どこに向いている愛なのか、考えないと・・・
家族の愛情が、時には、本人の生き方の邪魔をすることがあるのですね。
萬田緑平医師は、「家族は穏やかに亡くなろうとしている本人に向かって、もっと頑張ろう、あきらめないで治療をしようと言うが、実は、それは、本人にとって苦痛を長引かせることにしかならない」と語られています。
そして、「家族が最後の瞬間まで死を受け入れることができなければ、本人にとっても家族にとっても悲しいだけの死に立ち会うことになる。好きなことを楽しんで、最期は枯れるように亡くなっていくのがもっとも体に負担がかからない方法なのだ」とも語られています。
人生の主導権は、最期まで本人が持つべきだと萬田医師。
愛する家族の死を受け入れることは、辛く、苦しく、大変なことだと、身をもって経験しているのですが、
萬田医師の話を読みながら、改めて、家族の愛と人生の主導権について考えてみました。
生まれたからには、必ず死ぬ。
限りのある自分の人生。
最期まで、主導権は、自分のものでありたいなぁ。。。。。。
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