「運命っていうけれど、あるんやろか。生まれたときから決まっているとか。なぁ、どう思う?」
死刑が確定した林眞須美死刑囚の言葉です。
先日、和歌山カレー事件を検証した映画「マミー」を観てきました。
和歌山カレー事件・・・
当時(1998年)は、テレビでも新聞でも、連日、この事件が報道されていました。
和歌山毒物カレー事件とは、
1998年7月25日に日本の和歌山県和歌山市園部で発生した毒物混入・無差別殺傷事件で、和歌山カレー事件とも呼ばれることがある。事件の被告人として起訴された林眞須美は2009年5月19日に死刑が確定した。一方で冤罪疑惑がしばしば指摘されており、2024年2月時点で再審請求が和歌山地裁により受理されている。
~ ウィキベディアより ~
過熱報道が繰り返され、犯人とされる林眞須美死刑囚がカメラマンに向け、ホースで水を撒いた姿は、今でも覚えています。
そして、保険金詐欺を犯したのだから、報道どおり、この人が犯人だ!と、思い込んでいました。
深く考えたり、疑うこともななく。
最近、YouTubeを通して、林眞須美死刑囚の長男の人生を観て、その壮絶さを知りました。
加害者とされている人の子供として生きる人生。
想像もできないほど、辛く、壮絶な人生を歩いてこられたのだと思います。
林眞須美死刑囚の長女が、自ら亡くなった「関空橋転落死」に触れ、長男が語る言葉が辛過ぎました。
「自分は家庭をもたない。家族や子供たちに(同じような)辛い思いをさせたくないから。だから、普通の人生を選ばない。姉は普通の人生を生きようとしたのでしょう。。。。」
↑そのままの言葉では、ないかも知れませんがm(__)m・・・辛過ぎます。
この映画では、眞須美死刑囚が、子供たちに対して、大きな愛情をもって育てていた様子が、伝わってきます。
確かに、保険金詐欺を犯した夫婦であることは、事実です。
夫である林健治さんが、得意げに、そして、明るく、詐欺を犯したことを語る場面があります。
そのあたりは、ちょっと、信じられないのですが、とても悪いことをしたと反省をしているようには、思えませんでした。
簡単にお金を稼げる方法として、饒舌に、詐欺事件を語る夫。
少し変わった人物にも見えます。
当時の私は、「詐欺を犯す悪い人達だから、無差別殺人もやりかねない」と何の疑いもなく、思い込んでいたところがあります。
饒舌な林健治さんとは、真逆、
「当時を語りたくない」と、頑なに口を閉ざす近隣の人たち。
両者の差が、際立ちます。
映画を観ているうちに、どんどんと、目撃証言が曖昧に、そして、不安定になります。
それなのに、何故、「死刑」が確定?
当時は、私も含めて、世間全体が、マスコミ報道に操られていたとも思えます。(怖いですね😨)
今、冷静に考えると、「詐欺を犯すこと」と、「無差別に人を殺すこと」が、繋がる理由がみつからないのです。
映画のなかでは、分析化学の専門家によって、毒物鑑定に複数の不備があることが、指摘されていました。
「えっ? そうなん?」
それなら、冤罪の可能性があるのでは?
可能性というだけで、絶対に冤罪だとは言い切ることができません。
だって、私は、映画を観ただけなんですから・・・
「疑わしきは罰せず」
刑事訴訟で、犯罪事実がはっきりと証明されないときは、被告人の利益になるように決定すべきであるという原則 ~goo辞書より~
この映画を観て、このままでは、いけないと強く思ったのです。
事前に、YouTubeで色々、情報を観ていました。
映画では、長男が歩いてきた壮絶な養護施設の体験などは、織り込まれていません。
情に訴え過ぎず、たんたんと報道しようとする監督の意図が伝わりました。
だから、ちょっぴりと物足りなさを感じたところもありました。
事実は、わからない。
でも、こんなにも、曖昧な(疑わしい)ままで、人の命を決めてはいけない。
強く、そう思った映画でした。
毎度、お馴染みの十三の映画館「第七藝術劇場」で鑑賞しました。
まだ、しばらくは上映されているようです。
決して、運命で片付けれられないこと、「冤罪」について、呟いてみました。
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