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美しい本が、手元にあります。
美しい? 本の装丁? デザイン?
もちろん、それもありますが、
それ以上に、文章が美しく、そして、かなしいのです。
今日は、愛する人を亡くした作者が書いた、美しく、そして、かなしい本を紹介します。
『悲しみの秘儀』 若松英輔
いつ頃だったかな? 今から7年くらい前だと思います。
この本の作者、「若松英輔」さんの講座を拝聴したことがあります。
その時、印象に残った若松さんの言葉があります。この本の中にも、出てきます。
かつて、日本人は、「かなし」を「悲し」とだけでなく、「愛し」あるいは、「美し」と書いて、「かなし」と読んだ。
悲しみにはいつも、愛しむ心が生きていて、そこには美としか呼ぶことができない何かが宿っている。
人生には悲しみを通じてしか開かない扉がある。
悲しむ者は、新しい生の幕開けに立ち会っているのかも知れない。
「悲しみの秘儀」より
人は、悲しみを通して、気づくことがあり、亡き人と出会ったことの喜びを伝える。
そこから、また何かが始まるのではと、作者は言います。
今までも、何度か、ブログでつぶやいてきました。
私も、こんなにも、別れが悲しく思える人と出会えたこと、
悲しみの中にある、自分の愛の深さに、気付くことがあります。
どうして、こんなに、心の中を、涙が流れるのだろう。
悲しみは愛の裏返し。
悲しい別れを経験したとき、出会えたことへの喜びに気付くことがあるのですね。
そこから、新たな死者との関係性が結ばれるのかも知れません。
孤独について
作者は、この本の中で、「大切な人を喪った者を最初に襲うのは、悲しみではなく、孤独である」と書いています。
私もブログ「愛する人を亡くしたとき」にも、書いたのですが、最初の感情は、「怖かった」こと。
漆黒の宇宙に一人放り出された、或いは、どこまでも底がない真冬の海に、ひとり沈んでいく怖さ。
今、当時を振り返り、その感情を文字にすると、「悲しい」と言うよりは、孤独からくる「怖い」が、しっくりきます。
この世にひとりぼっち。 孤独、そして絶望。
真っ先に、襲った感情です。
生まれて初めて経験した、絶望。
悲しみの感情は、その後、ゆるやかに、そして、だんだんと強くなっていきました。
本の中で、作者は、「孤独を感じる時に自己を最も近くに感じる」と書いています。
孤独だからこそ、自分と向き合う事、深めていく事になるのかも知れません。
同じ悲しみなど存在しない、でも他者と繋がることもある。
別れの数だけ、悲しみがあると思います。
遺族の悲嘆は、個別のものだと感じています。
この本は、色々な書籍から引用した文章に、若松氏の思いを語り、深めたものになっています。
ヴィクトール・フランクル、宮沢賢治、石牟礼道子、河合隼雄、鈴木大拙、遠藤周作、神谷美恵子、岩崎航…等。
むむむ・・・私の好きな人ばかり💓
誰もが、生きることについて深く考え、生と死を見つめている共通点を感じます。
偶然? 私が好んで読んできた本の著者と重なります。
私自身も深い悲しみを経験し、その悲しみの意味を求めていました。
そして、引用元の作家たちの多くも、愛する人、大切な人を亡くした経験がある。
深い悲しみを経験したからこそ、求めるものに、共通点があるのかも知れません。
(私とは、洞察力のレベルが、かけ離れていますが。)
悲しみは、決して同じものではないけれど、共感しあえるものがある証なのかも知れませんね。
作者は、あとがきで、「書くこと」の大切さに触れています。
書くという行為は、書かなければ、知りえない人生の意味に出会うことなのだと。
そうだとしたら、やっぱり、私もブログを書くことで、人生の数々の経験を振り返り、
そして、その「意味」に出会えるのかも知れないなと、改めて気付かせてくれました。
今日のブログのタイトルは、「悲しみを通して開かれる扉」としました。
扉の向こうに、新しい生の幕開けがある・・・・
そうだとしても、この扉、無理やり、開けない方がいいのかな。
思いっきり、悲しみ、心で涙を流した後、自然に開かれる・・と信じて。
最初に、美しくも、かなしいと書きました。
美しくも「愛し」と書き換えようかな。
色々な本をめぐり、人生の意味を深めることができる。そのことを、改めて気付かせてくれた1冊。
今日は、「悲しみの秘儀」について、つぶやきました。
最後まで、お付き合いくださって、有難うございました。では、また。
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