6月🌈・・・
私の生と死が交錯する月が、今年もまた、巡ってきました。
6月は、私のお誕生月、そして、夫の命日がある月です。
6月に入ったばかりの今日、朝日新聞社がオンライン配信している「喪の旅×記者サロン」を観ました。
これまで、何度かブログで呟いた「小池真理子さんの喪の旅」です。
共感するところも多く、そして、別れた年齢、流れた年月で、少し異なる部分もありました。
そんな色々を、つぶやいてみます。
人生が分断された日
大切な愛する夫、藤田宜永氏と、小池真理子さんが死別されたのは、今から4年前です。
小池さんは私より4歳年上。と言うことは、今の私の年齢で死別されたいうことです。
「喪の旅」のなかで、人生の分断の話がでてきます。
夫が肺がんと宣告された日から、ご自身の人生が2つに分断されたと。
私も同じ。
夫が胃がんと余命の告知を受けた日から、私の人生は、分断されました。
「その前」と「その後」
このサロンを観るまで、「死別」した日が、分断の日と思っていましたが、今日、小池さんの話を聴いて、「そうだなぁ」と。
愛する人が、自分の目の前からいなくなると、残酷な宣告があった日。
その日を境に、人生が分断されたように思います。
愛する人の死を見届ける
告知から死まで、若しくは、死を待つ時間、それは、「生を全うする時間」なのかもしれません。
癌による死別は、特にそう思うのかも知れません。
死を宣告され、そして、死に向かっていく過酷な時間を、愛する人と共有。
その期間は、以前にも書きましたが、予期悲嘆とされ、
それは、壮絶で、耐えがたい時間でした。
そして、今から考えると、それはまた、崇高な時間だったようにも、思えるのです。
母の死では、愛する人を突然亡くす経験をしました。
そして、父の死は、長期間、病を抱えながら、少しずつ老いをたどり、やがて、最期は、静かに枯れ木が折れるように亡くなりました。
どの「死」も、私にとっては、悲しいものでしたが、比較的、父の別れは穏やかに受け入れられたように思います。
小池さんの話を聴いていて、24年前を思い出しました。
癌告知から死別までは、必死・・・とにかく必死に過ごしました。
私自身も、呼吸をするのがやっとと思えるくらい、とても苦しく辛い時間でした。
でも、最後まで、傍にいて、彼が、生を全うする時間を見届けることができた・・・
愛する人の、壮絶で崇高な時間をともに過ごすことができたのだと、
今日、改めてそう思ったのです。
何年も経ってから、改めて感じることってあるのですね。
ミシッ!と音が。彼からの合図?
小池さんは、4年経った今でも、遺影やお花と一緒に、夫の遺骨を自宅の祭壇に置いているのだそうです。
亡き夫に話しかけると、ベストなタイミングで「ミシッ!」と音がするんですと話されていました。
「こんな経験した人、いないですよね?」とおっしゃてました。
「いるいる!ここにいる!」←パソコンの前でつぶやく私(笑)
以前にブログで書きましたが、死別直後からしばらく、夫の寝室のテレビ台が「ミシッ!バキッ!」と激しくなっていたのです。
あまりに激しい音だったので、息子達も不思議がっていました。
小池さんは、気圧の関係か何かが影響しているのかも知れないけれど、夫が合図を送っているような気がすると。
気圧の影響・・・・・・・・いや、違う。
夫のテレビ台の音は、あの世からの合図だったと、今でも思うのです。
あの世は、この世のすぐそばにあり、若しくは、(見えないけれど)重なっていて、そこから合図を送っていたのかも。
「死んでも生きてるでぇ~!安心しぃや!」って言っていた・・・と思うのです。
わが家の場合は、1年ほどで、その「ミシッ!バキッ!」音は静まりました。
きっと、もう一段階、上の世界に旅立ったのかも。。。
そんな死別当時のことを、小池さんのオンラインサロンを観て思い出しました。
時の流れで変容した悲しみのかたち
死別後4年の小池さん。
「友達が自分の夫の話をするのを聞くのが辛い」と語られていました。
死別から数年間は、私もそうでした。
夫婦連れの姿を見ることさえも、辛かった。
今は、20年以上経過していることもあり、いつの頃か、友人が夫の話をしても、動揺することはなくなりました。
まぁ、正直に言うと、「いいなぁ。いつまでも、そばにいてくれて」
羨ましい・・・とは思うけれど。
辛いというよりは、純粋に「いいなぁ」と思うだけ。
人と自分の人生を比べることは、少なくなってきました。
「だって、しゃーないやん!」と思うのです。
いや、そのとおり。「しゃーない」のですから。
そして、悲しみがなくなることはないけれど、悲しみの形が変わったように思うのです。
自分の中に溶け込んでいると感じるようになりました。←上手く表現ができないけれど。
小池真理子さんの「喪の旅」オンラインサロンを観ながら、あれこれを思い出し、つぶやきました。
会場には、同年齢、若しくは少し年上の男女が多くいらっしゃった印象です。
中年で死別した私とは、少し違った思いも当然あるのだと想像します。
若い時は若い時で、人生を共に過ごす時間が短か過ぎて、それはそれで、辛く悲しいけれど、
何十年も共に生活をした伴侶を亡くされるということも、また、辛く悲しいものなんだと思います。
どんな出会いも、必ず別れがある。
辛く悲しいけれど…それが人生なんですね。
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