人生後半になると、愛する人との別れを経験する回数が増えます。
長生きをすればしただけ・・・そんな経験が増えるのかも。
色々な縁で出会った学び
私は、10代、40代と、比較的若い頃に、最愛の人を亡くした経験をしました。
そんなとき、考えたのが「人は、何のために生きる?」「死ぬことってどんなこと?」
答えのない問いが頭の中をグルグル。
一人で整理できなくて、色々な書物に助けてもらいました。
色々な出会いがあり、縁があり、「街のカウンセラー」を育成する心理学教室に通い、
その後、グリーフケアの学びと出会い、
自分で言うのもなんだけれど(笑)、一生懸命、勉強しました。
それが、50歳前後のこと。
比較的、穏やかな日々を送っている今・・・
あの頃、学んだことは、自分の中でどんな風に消化されているのかなと思うことがあります。
ホスピスや、遺族会の傾聴ボランティアからも遠ざかり、
シニアになった今、日々の仕事と生活をこなしていくことで精いっぱい⤵
あの頃、学んだ大切なことは、しっかりと「私」の中に吸収され、どこかに残っていると信じているのです。
そうでないと・・・・・ねぇ😥
沈黙ということば
本棚を眺めていると、グリーフケアの勉強をしたときに勧められた絵本が出てきました。
「ねこ と おと と こえ」
かじの さら・え にしえ まさゆき・ことば
絵本の最後に書かれている、西江雅之氏の「この本と出会う人に」に書かれている文章が、また素敵です。
『絵は、目でみるだけのものではありません。描かれている事物を、言葉で解説するだけのものでもありません。五感や情動の全てを使って絵に出会う。体で絵を見る。この本は、現代社会の制度のなかで、力を弱められてしまっている五感や情動の一部を支える聴覚に焦点を当てて、絵から想像力と自由を取り戻す試みです。』
悲しみの中に立ち止まっている人に向き合っているとき、
大切にしていた言葉があります。
それは、「沈黙」という聞こえない声です。
音のない言葉から、悲しみが伝わることがあります。
その「沈黙」を大切にすることを学ばせてもらったときに紹介されたのが、
「ねこ と おと と こえ」の絵本でした。
言葉にならない言葉を大切にしないと・・・と思いながら傾聴をしていました。
・・・だけど・・・簡単には、できなかった⤵
沈黙の時間が、耐えきれなくて、言葉を発してしまったり⤵
傾聴の方向が相手に向かわず、自分に向いて失敗したことも数知れず⤵
辛く、悲しい時、頭の中は、色々な考えや思いがグルグルしている。
上手に言葉にならなくて、当たり前。
沈黙が、何も語られていないわけではない。
そして、その沈黙を、聞き手が自分風に脚色することはNG・・・
あるがままを聴く
っふ。難しい。
そんなことを勉強しました。
愛する人が見られなかった景色を生きる
シニアになった今、50代の頃とは違う人生の景色が見えてきているのかなぁ。
自分が経験した悲しみを深く学び、同じように苦しんでおられる方の役にたてれば。。。。と、
自分なりに、できることをしていた50代。
未熟な面もたくさんあったなぁ・・・・・いや、
達観しているようですが、未熟な面は、今も、大いに続いています(笑)
少しばかり平穏な日々が続くと、哲学的なことを考えることを
お休みしてしまう傾向にある私です(苦笑)
どんなに気張っても、それが「私」なんだろうな・・・⤵
けど、「私」のどこかに学んだことが、沈殿し、吸収されているんだろうと信じながら(笑)、
母や夫が生きられなかった50代、60代を、今、私は 生きています。
今の目標は、にんじん🥕をぶらさげて、日々をワクワク、それなりに楽しく生きていく事。
そんな小さな目標で、満足しているのです。
ま、いいかぁ。(笑)
今日は、一冊の絵本を見つけ、音にもいろいろあることを思い出し、
「沈黙」と言う声について、呟いてみました。
情報にあふれる現代社会を生きている私たち。
自分の五感や情動が弱くならないように、静かな空間に身を委ねることも必要かも・・・
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