森からの、小鳥のさえずりを聞きながらパソコンに向かっています。
チュルチュル・・・ピユ~ピユ~ピユ~・・・チチチ・・・
気持ちよく聞いていると、なんだか不思議な鳴き声も聞こえてきました。
ゴロゴロゴロ・・・・
痰がからんでいるような、鳴き声。 大丈夫かぁ? コロナに罹患したんやろか・・・(笑)
今日も、鳥の声に平和を感じています。
6月も終盤、今年も半分が過ぎるのですね。
そんな中、恩師・小西先生の「インターフェイス・スピリチュアルケア ~永遠と対話の根源へ~」、やっと1回目を読み終えました。
「禅マインドが、なんとなく好き!」
・・・なぁんて、言っている感覚派の私にとっては、とても、難しかった・・・
現象学でもあり、人間学でもあり、ケア専門書でもあり・・・
とても深い内容で、私にとっては、正直、難解過ぎました。
東洋哲学の基本を勉強しなくては、歯が立ちません⤵
「なぁんとなく・・・・」と言っている場合じゃない⤵
先生は、「質問があれば、お答えしますよ!」と言って下さっているのですが、
恥ずかしながら、「分らないことが、分からない・・・(先生、m(__)m )」
いつぞや、ハイデッガー「存在と時間」って、どんな本だろう?と興味を持ったことがありましたが、
「存在と時間」を読む前には、解説書を何冊か読んでいかないとわからないと聞いたことがあります。
哲学書は、難しいです。
いずれにしても、何度もつぶやいていますが、感覚派の私は、理論がとっても苦手。
一生懸命、中身がナイ頭に本の文字を一つ一つ、落とし込み、ゆっくりと読み進めました。
ここは、重要そう! (「そう!」と、感じる程度です 苦笑)
大切な本だから、直接マーカーを引くのは、勿体ない。
なので、付箋を貼りながら、読み進めました。結果、付箋だらけ。。。(笑)
ケアの学びを共にした仲間と、感想を、lineで交換しました。
「難しいな・・・」「1回では、さっぱりやわ」・・・⤵
先生は、少しだけご縁のあった私達にも、関西に来られるタイミングで、今でも色々と教えてくださいます。
本当に有難い事です。
実は、難解なだけではなく、なんとなく読みながら、ワクワクしている私がいます。
それは、知りたいと思っていたこと。。。 「神秘の世界」についてが理論化されているからです。
先生は、ご自身の経験した「神秘体験」を理論に落とし込まれています。
本の中の、ある文章に惹きつけられました。
そうだ、「永遠」とは、「今」のことなんだ。どうしてそれを恐れる必要があろう!
~ 中略 ~
「永遠」が「持続」ではなく、実は「現在」そのもののことであり、しかもそれは時間軸上の一点を意味するものではなく、時間も空間もない次元、しかもそれこそがリアリティそのものであるということが、そこではっきりと理解されたのである。
「インターフェイス・スピリチュアルケア」 本文より
先生の神秘体験について書かれている場面があります。
この体験をされるまで、先生は、永遠を肯定的意味合いを持つものではなく、「永遠の苦しみを与えるもの」、「死」を苦しみが永遠に続くものとして捉えていたとのこと。
この神秘体験をされたときに、
「永遠」が持続するものではなく、実は、「現在」そのもののことであり、時間軸上の1点を意味するものではなく、時間も空間もない次元、それこそがリアリティそのものであるとはっきりと理解されたそうです。
↑ここ! ここに私は惹かれるのです。
私の浅い浅い知識で、大変恐縮ですが。。。。
禅の「無分別」に惹かれている私は、この部分に引き寄せられます。
以前、ブログ「日本人の信仰心について」にも書いたのですが、
空間にも時間にも区切りがない世界。それこそ、神秘的ですが、私の惹かれる世界です。
理屈抜きで・・・←先生が、色々と理論化して下さっていると言うのに。。。m(__)m
だから、再度、ゆっくりと読みます。
何度読んでも、感覚派人間の私が、どこまで理解できるか、怪しいものですが・・・。
1回目を読み終えて、先生がいかに「ビリーフ自由」「あるがままをみる」ことを大切にされているのか、そこのところが、少し理解できたように感じました。
そして、スピリチュアルケアにおいて、そこがいかに、重要かも。。。。
ここ数年、スピリチュアルケアの勉強から少し離れていました。
また、少し勉強をしようかな。
せっかく、色々と勉強をしたのですから・・・。
今日、6月25日は、夫の命日。
梅雨で、うっとおしい季節?
いえ、紫陽花が綺麗に咲く6月。
6月は私にとって、生と死が交錯する月です。
そうか・・・・・・・交錯ではなく、生と死は、一つなのかな・・・
今日は、小西達也先生の「インターフェイス・スピリチュアルケア」を読み終えて、感じたことを書いてみました。
最後までお付き合い頂いて、有難うございました。
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