カトリックの学校に、6年間通学していました。
毎日、朝礼で聖歌を歌い、聖書の一部を読んで、お祈りをしていました。
宗教の時間もありました。公立校では、考えられませんが・・・。
学校から帰ると、自宅には仏壇がありました。なんでもあり。。。やなぁ。笑
私の宗教って?
今日は、日本人の信仰心 について、つぶやいてみます。
無宗教という宗教
日本人は「無宗教」あるいは、「無宗教という宗教」を持っていると言わることがあります。
多くの日本人は、自覚的には特定の宗派に属していないのかも知れません。
もちろん、カトリック信者や、その他の特定の宗教を信仰されている方も沢山おられますが・・・。
仏壇の横にクリスマスツリーを飾ったり。。。クリスマスが終わると、お正月用のしめ縄を買いに走ったり。
なんでもありか! いや、何でもありの所が、日本人らしいのかな。
なんでも受けいれるところが、あるのかも知れませんね。
でも、信仰心がないとは、言えないですよね。
だって、日本では、木や岩にしめ縄を飾り、ご来光に手を合わせます。
道端の野仏に花を飾り、そこでも、手を合わす日本人。
世界の中でも極めて特異な民族なのかも知れませんが、信仰心は、大いに持っているのだと思います。
お地蔵さんに手を合わす人々
毎日の通勤路、駅の近くに、お地蔵さんがあります。
小さい子供、学生、老いも若きも、その前を通ると、お地蔵さんに向かって手を合わせています。
地蔵盆も毎年、行われていて、小さい頃からの習慣なのでしょうね。
地域や子どもの守り神として、地元のみんなから信仰されているようです。
私にはその習慣がなかったので、引っ越しをしてこの町に来たときは、「なんだか、いいなぁ~!」と思っていました。
またまた、河合隼雄先生の話になります。
欧米人が、日本の治安の良さや、道徳心の深さに感動し、どのような宗教的倫理観によるものかと質問されたそうです。
そのとき、「日本人は、宗教が日常生活と著しく混ざっていて、本人も意識していないのに宗教的な言動をしている」と返答されたそうです。
“もったいない”ということばを例にとり、それは、宗教教育ではなく、あいまいな形で自分を越えたものに対する感謝の念を表現していると。
そう言えば、神戸の震災の時も、海外から驚かれていたことを思い出します。
みんなが、きっちりと列を組んで、水や食料品の配給を待っていたと。
特定の宗教がなくても、何かの大きな力に畏敬の念を抱いているのかも知れませんね。
私も、日本人あるあるの典型で、特定の宗教を熱く信仰しているわけではないけれど、
やっぱり、大いなる自然を前にすると、「神」というのか、「大いなるもの」と表現するのか、
その「偉大な力」を感じずにはいられないのです。
その「偉大なる自然」の前に、私の全てを包み込み、赦されていると感じるのです。
手を合わせる行為。
それは、何か大きな力を信じて、思わず出てしまう行為なのかも知れません。
「個人」の捉え方、西洋と日本
河合先生の、日本と西洋の「個人」の捉え方の違いについての考えも、面白いと思います。
ヨーロッパは、個人から出発する思想があるけれど、日本は、むしろ全体の一部として個人を配置する。
個人を含めた全体のバランスを取ることが特徴となるのが、日本人的。
ヨーロッパのように、偉大な神に対してではなく、偉大なる調和に対して生じる宗教性。
個人=individual (divide=分ける)
個人は、分けることの最小単位。個人を重んじる西洋。
分けて考えるのが、西洋らしいということなのかな。
そう言えば、神と子 光と闇 罪と罰 天と地 善と悪…
西洋では、そんな二元論的な言葉が多いような印象です。
一方、日本では、分けずに全てを含む・・・無分別・・・自分と他者と分けずに全て包含している。
調和、バランスを重んじる日本人。
だから、あまり、こだわりを持たず、どんな宗教でも受け入れやすいのかも知れませんね。
色々な宗教を心地良く受け入れるのかも。
日本人の持つ宗教性。
私は、このゆるりとした信仰心がなんだか、いいなと思うのです。(←個人的見解です。m(__)m )
自然のうつろいに対して極めて敏感な日本人は、「無常」や「循環」のイメージ体感から輪廻思想に結び付いているのだと、先生は語られています。
無宗教という宗教・・・それは、信仰心を持たないと言う事ではなく、全てを包み込んでいる信仰心なんですね。
深く一つの宗教を信仰している友人がいます。
それは、それで、信仰を持つことは、素晴らしいと思えるのです。
そして、少し、羨ましく思ったりすることもあります。
色々あっていい。。。。そう感じる所も日本人だからなのでしょうか。
信仰する宗教が原因で、争ったりするのは、悲しい事に思います。
それぞれの宗教を認め合う。。。それで、いいやん。それが、いいやん。
今日も、仕事帰り、お地蔵さんの前で、一生懸命に手を合わせている若者を見かけました。
何かお願いしているのかな・・・・・?
そんな光景を横目に見つつ、日本人の信仰心について考えながら、家路につきました。
最後まで、お付き合い頂いて、有難うございました。では、また。
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