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☆子供たちがお世話になった学童保育の思い出

人生

酷暑🔥🔥🔥

連日、報道される気温の記録更新と、熱中症の話題・・・

子供たちは、今、どんな夏休みを過ごしているのでしょうか。

遊びに工夫をしてくれた学童保育の先生たち

「今、職員が集まらない学童保育、色々な問題が山積」・・そんな記事を読みました。

思い起こせば、今から30年ほど前←(長く生きとるアーモンドです(笑))

すっかり大人なった我が長男、次男、共に学童保育のお世話になりました。

当時は、専任のベテラン先生が一人おられ、後はアルバイト、パートの先生方が数人。

宿題をみて頂いた上に、おやつも頂き、べーゴマ、百人一首、けん玉など昔ながらの遊びを楽しませてくれました。

おかげさまで、百人一首は、二人とも、たくさんの歌を覚えたようです。

兄弟共に、先生から手作り優勝カップをもらいました。

親も先生も一緒になって、子供たちを楽しませる場だったと記憶しています。

当時は、働くお母さんだけが、子供たちを預けていました。

運営委員会、各イベント実行委員会など、親の組織もしっかりとありました。

当時の私は、家事と仕事の両立だけでも大変だった(´;ω;`) 

あー、それなのに(´;ω;`)ウッ…

学童保育以外にも、クラス委員、子供会の役員など、毎年のように、何らかの役をこなさなければならなくて。

今から思うとホント、よく頑張ったなと・・・

孫がいないので、今の小学校の様子がよくわからないけれど、いずれにしても働くお母さんの労力は、今も昔も変わらず、大変ですね。

大当たり! 一番したくない役が⤵

そんな学童保育で、忘れられない思い出があります。

当時、市内の6つの学童保育が合同で、秋に運動会を開いていました。

開催校は毎年、持ち回りです。6年に一度回ってきます。

当時の私は、(今もそうですが)なるべく目立たず、ひっそりと生きていきたいタイプ(笑)

そして、やや利己主義で、できれば、簡単な労力の要らない役がいいなと・・・

毎年、密かに、そう思っていました。

学童は、運営委員長も大変でしたが、一番、皆がやりたくない役、それが「合同運動会大会長」でした。

当日、親も子も数百人の人間が、予行演習もなく集まり、事故のないよう、盛り上げなくてはいけません。

「この役だけは、避けたい!」と誰もが思っていたのです。

6年に一度の開催校の年……なぜか、大当たりしてしまったのです⤵

今、考えても恐ろしい(笑)

宝くじには、当たらんが、こんな時には、当たってしまう。。。。。それがアーモンド。

嫌だ嫌だと思い過ぎていたための、運命のいたずらか…(´;ω;`)ウッ…

みんなの協力のうえ、大成功!

面識のない6校の学童の実行委員長が、春から何度も会議を開き、プログラムなど決めたことを思い出します。

会議の場所おさえ、議事進行の資料づくり、などなど細かい事を手配するのも、開催校の実行委員長=アーモンド⤵

仕事から帰って、子供たちにご飯を食べさせ、そして、会議に向かう。

他校の学童の委員長さんも、全員、協力的で、会議を乱す人もおらず、スムーズに進行することができた。。。と記憶しています。 だって、皆、早く、家に帰りたいやん(笑)

当時、我が校の学童は、総勢50名の子供たちが、在籍。

親御さん全員で運動会を盛り立ててもらおうと、必ず、誰もが何かの役割を担当することにしました。

テントや、音響の手配から、参加賞の手配など、準備することがたくさんありました・・・

家庭によっても事情がそれぞれ。

ですが、できるだけ、全員に参加してもらいたい。。。と自分たちで、担当する役割を申し出てもらったことを覚えています。

一人が心配なら、数名でチームを作ってもらったり、各自が無理ないように配慮したと記憶しています。

当時のメンバーは、最強でした。

当日のアナウンスは、仕事で、保育士さんをしているお母さん。(盛り上げ上手♪)

朝礼台の上でのラジオ体操見本は、小学校の先生。(やり慣れている♪)

救護担当は、看護師の仕事をしているお母さん。(プロです、安心♪)

テントや、音響の手配は、高校教師のお父さん。(段取りがいい♪)

そして、校門を飾った「6学童合同運動会」の看板を作ったのは、劇団の小道具の仕事をしているお父さんでした。

立派な運動会の看板に、圧倒されたっけ。(笑)

前日、当日の準備に、皆が協力してくれた姿は、圧巻でした!!!!

それぞれの役を、お父さんもお母さんもしっかりと熟してくれて、涙が出るほど、嬉しかったことを覚えています。

4人の子供を育てていた若いおかあさんが、あまり乗り気ではなかったのですが、参加賞の鉛筆を小袋に入れるという役を担当してくれました。

当日の朝、その参加賞が、開催予定時間ぎりぎりまで届かず、ハラハラしていました。

大会スタートの直前、「お母さん、忙しいから来られへん」と言って、走って持ってきてくれたT君。

忙しいなか、一生懸命に鉛筆を分けてくれたのだと、T君のお母さんにも感謝でした。

大きな事故もなく、スムーズに運動会の1日が終了しました。

皆の協力を得て、無事に終わったことに、大会長の私は「ほっ!」としたことを覚えています。

結局、当日は、何もせんかったアーモンド(笑)

と言うか、当日の自分の行動は、ほとんど覚えていないのです。

みんなが協力してくれて、嬉しかったことだけは、しっかりと覚えているのですが。。。

そうそう、プログラムの中にけん玉の「もしかめ」競技がありました。

曲を選曲するのは、大会長の特権(笑)

私は、子供に、似つかわしくないサザンの「愛の言霊」を選曲。←当時、流行っててんもん(笑)

たくさんの小学生が、当日までに「愛の言霊」を聴きながら、モシカメ練習をしていました。

みんなで子供を育てる場

「働いているのだから、これ以上、私に負担をかけないでっ!」

大きな役が回るたび、心の中で叫んでいました。

が。。。。。。。不思議なことに、今、思い出すのは、この運動会の大役をしたこと。

「みんなが、協力してくれた」と言うことに、今、思い出しても、感謝でした。

T君が、走って持ってきてくれた参加賞。

そこのシーンは、鮮明に覚えています。

運動会のほかに、夏合宿、クリスマス会などのイベントも開いていた当時の学童保育。

サンタクロースに化けた、D君のお父さん。似合ってたなぁ。

親も先生も、みんなで、子供たちを育てていこうとしていたんだと思います。

いつの時代のお母さんも、子供たちが、安全に、安心して放課後、そして長期休暇を過ごせるように願っています。

子供が楽しく過ごせることで、家事も仕事も頑張れるのだから。。。。。

「学童保育の今」の記事を読みながら、忘れていた当時の子供たちとの思い出が、ふっと蘇りました。

子供たちが元気に過ごせる場が、いつまでも、なくなりませんように。

そう、心の中で願うアーモンドです。

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