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☆それでも想像してみようと思う 80年前の若者のこと

エッセイ

連日、遠く離れた戦地の映像が流れてきます。

傷ついた子供たち・・・・・

泣き叫ぶ子供たち・・・・・・

ふーーーーーーーーっ

大きなため息がでます。

日本でも同じように悲しい歴史がありました。

毎年、お盆のころになると、新聞やテレビで、戦争の特集番組が組まれます。

そんなドキュメンタリー映像や、ドラマを見ていると、思うのです。

「いのちって、誰のものなのかな。国家のものでは、ないよね」と

私は、たまたま、平和な時代を生きているだけ。

少しさかのぼると、悲惨な歴史が、実際にありました。

先日、プライムビデオで「あの花が咲く丘で 君とまた出会えたら」を観ました。

特攻隊と今を生きる少女の物語でした。

映画の中の話・・・だけではなく、

今から80年ほど前に、悲しい歴史が、この日本にもあったのです。

以前、鹿児島にある「知覧特攻平和会館」と「知覧茶屋」を訪れたことがあります。

「知覧特攻平和会館」では、特攻で命を落とした若者の多くの遺影や遺品、手紙などが展示されていました。

「知覧茶屋」では、特攻の母・鳥濱トメさんが若者たちに作った料理を再現した食事を頂きました。

訪れたのは、今から、10年以上も前の話です。

昨年は、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」に行きました。

戦争で命を奪われてしまった若者たち。

その叫び声が聞こえるようでした。

未来を奪い取ったのは、誰?

戦争は、自然災害とは異なって、人為的なものです。

防ぐことができるはず。

一人ひとりの「いのち」は、国家のものではありません。

国の命令で、命を落とすなんて、あってはならないと思うのです。

戦争は、人類のあさましさ 愚かさ そのものと思えるのです。

戦争とは、人間のあさましさの象徴。

そう思えてなりません。

何故、平和を望む人々が、戦争で命を落とさなくてはならないのでしょうか😢

ドキュメンタリー映像を見ていると、その悲惨さが、重く心につきささります。

戦争を知らない私。

どんなに、想像しても、戦争の悲惨さが、わかったとは、とても、言えません。

今、こんな風に書いている自分の文章が、とっても薄っぺらな気がします。

それでも、これからも、想像してみようと思います。

わずか80年前。

国家のために命を落とした若者たちのことを。

お盆は過ぎたけれど、

これからも、彼ら彼女らのむなしさ、悲しさは、消えることはないでしょう。

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