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台風が近づいている今日、
窓から見える空は、どんよりとした雲に覆われています。
「そよ風だより」とは言い難い空を見ながら、パソコンに向かっています。
私は、愛する人との「突然の別れ」と「癌と言う病気での別れ」、両方を経験しました。
今日は、自死、「語れない死」について、つぶやいてみようと思います。
「語れない死」について
![](https://griefmementomori.blog/wp-content/uploads/2022/09/1b6091e8ac365d3bf3cc64856629e0fd.jpg)
「語れない」、「語らない」・・・そんな死別があります。
自死遺族会でボランティアをしていたのですが、参加者の話を聴いていると、
遺族の持つ様々な背景から、複雑な悲嘆が見えてきました。
以前、グリーフケアの勉強をしていた時、友人とまとめてみたことがあります。
今日は、そのあたりを少しふり返ってみようと思います。
そもそも、死そのものを積極的に語ることは、まだまだ、少ないですよね。
なかでも、自死に関しては、なかなか、話題にすることはないと思います。
なぜなのでしょうか?
自死遺族が抱える複雑な苦悩について
![](https://griefmementomori.blog/wp-content/uploads/2022/09/ab2a6459b794984fa0013a5cacbba0e6.jpg)
自死遺族会を通して、遺族の語りからみえてきた苦悩をまとめました。
1. 突然の衝撃
2. 悲惨な現場と遭遇した苦悩
3. 自死に至るまでの複雑な背景とその苦悩
4. 自死に対する偏見・無理解からくる苦悩(世間の偏見・無理解、自身の中にある偏見)
5. 強い後悔・自責の念に苛まれる苦悩
6. 家族、親戚との関係性から生じる苦悩
7. その他 (経済問題・賠償関連・訴訟問題・警察等関係機関の対応等)
それぞれ個人差ありなので、あてはまらなかったり、他にもあったりですが、
以上が、自死遺族会の語りから、みえてきた複雑な苦悩です。
「語れない死」を「語れる場」
以前、私がボランティアをしていた自死遺族会は、参加者が全員、自死遺族です。
参加した方々から、次のような声を聴くことができました。
「ここに参加して、思いっきり息子のことが話せました。帰宅後、久しぶりに朝までぐっすり寝ることができました。」
「普段は、接客業なので笑顔をかかすことができません。思いっきり泣けて、すっきりとしました。」
「たら、ればの海(自責、後悔の念)に溺れそうでした。みなさんも同じような気持ちなんですね」
(たら、ればとは → ○○していたら・・・ ○○すれば・・・ )
などなど・・・・。
責められる事なんてないはずなのに、何故か、口をふさいでしまう遺族。
確かに内容は重いし、理解されることは難しいかも。
でも、やっぱり、語ることによって、少しはモヤモヤが解消されることがあり、
気持ちが癒されるのではないかなぁと思います。
語る前と語った後の変化は?
・語れないモヤモヤ ➡ ・語ることによるカタルシス
・「一人ぼっち」「孤立」 ➡・「一人ぼっち」でない実感
・大切な人の存在を消してしまう罪悪感 ➡ ・大切な人が生きていた証
・大切な人の人生、自分の人生が肯定できない ➡ ・大切な人の人生、自分の人生の肯定
・重い荷物を一人で背負う感覚 ➡ ・重い荷物を少しの間、置いておける感覚
・あるがままの自分を受け入れてもらえない苦悩 ➡ ・あるがままの自分を受け入れてくれる心地よさ
・大切な人の存在を隠している自責の念 ➡・大切な人が自分の傍に今も存在している実感
・泣けない(感情の表出ができない)➡・思いっきり泣くことができる(感情の表出)
・心身の不調 ➡ ・心身の不調がやわらぐ
「語れない死」から、「語れる死」へ
![](https://griefmementomori.blog/wp-content/uploads/2022/09/5fc921ba73187e199b09c8e17f86d81c.jpg)
自死遺族には複合的な苦悩があります。
自死遺族会に参加して、多くの遺族が大切な人の死を「語れない状況」にあることが見えてきました。
遺族が安心して語れる場、語れる相手の必要性をあらためて実感しています。
そして、自死に対しての理解を社会に広めることが必要だと。
私には、個人の問題と言うより、そこに、社会の病理が隠れているようでなりません。
自死は、特別な人に起きた特殊な問題ではなく、誰の身にも起きうる社会全体が抱える問題として、
共に考え、共に背負っていける社会になればなぁと願っています。
今日は、「語れない死」について、つぶやいてみました。では。
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