5月の第2日曜は、母の日。
今年も、息子達は、「母の日」の存在を忘れているのでしょう。
私は、しっかり覚えているのに・・・笑笑
今日は、母の日にまつわる、忘れられない思い出についてつぶやきます。
我が家の5月
我が家の5月。
記念日が集中しています。
亡夫の誕生日、長男の誕生日、そして、世間一般の「母の日」
長男が誕生したのは、5月第2日曜。
そう。私は、「母の日」に母になりました。←なんか、いいやん💓
だけど、夫の誕生日、そして、息子の誕生日が優先され、我が家の母の日は、影が薄くなる傾向にありました。
周りの友人が、「今年の母の日はこうだった」とか「息子から○○をプレゼントされた」とかを聞くたびに、うらやましく思うのも事実。
まぁ、綺麗ごとでまとめるなら、「息子達が、心身共に元気なら、それが最高のプレゼント!」ってところでしょうか。笑
幼少期には、園や学校から、「手作りお手伝い券」「肩たたき券」そして、カーネーションを書いたカードなんかをもらっていたんだけど。
まぁ、自主的にと言うよりは、やらされた感の多いプレゼント(笑)
それでも、成長を感じ、嬉しかったかな。
これまでの人生で一番辛かった5月
そんな私ですが、一度だけ、忘れられない「母の日の思い出」があります。
その年の春は、いつもの春と違い、我が家は、不穏な空気に包まれていました。
桜のつぼみが膨らみ始める少し前から、夫が体調を崩し、急激に痩せてきました。
それは、本当に急激に・・・でした。
病院嫌いの夫は、医者にみてもらうことをさけていたのですが、5月に入り、とうとう我慢できなくなったのでしょう。大きな病院で検査を受けることになりました。
検査のはずの入院初日、ドクターから一人だけ呼び出された私は、夫の病状と予後の話を聞かされました。突然の告知でした。
目の前が真っ白になり、立っていられるのがやっとの状態でした。
そして、翌日から夫の看病のため、病院と家との往復が始まりました。
辛い中で、心がほっこりした瞬間
数日後、心身ともに疲れ果てていた私が自宅にもどると、台所のテーブルの上に、見慣れない赤い花のつぼみがコップに無造作にさされていました。
台所のながしを見ると、花を包んでいただろう古新聞と輪ゴムが投げ捨てられていました。
「何????・・・・」
夕食のときに、息子たちに「これどうしたの?」と聞いたところ、当時、小学校6年生の次男が、
「あぁ。母の日やん。母さんが、あんまり毎日しんどうそうやから買ってきてん。」
「お花屋さんで買ったの?」
「そう、お金がないから、ちょっとだけ、自分のお金を出して、これで買える花くださいって言って、そしたら、この花くれてん。」
・・・・そんな会話をした記憶があります。
カーネンションでもなく椿?のような、赤くて大きなつぼみが一輪。
夫の突然の体調不良、入院、告知・・・あまりにも短期間に起きた辛くて、苦しいできごとについていけず、ボロボロになっていた私の心。
その瞬間、ほっこりと暖かくなったことを覚えています。
人より少し早く反抗期に入り、当時は、私を困らせてばかりいた次男。
夫のことばかりが気になり、息子たちのことは、完全に、二の次になってしまっていた私です。
そんな私を、息子は、とっても心配してくれていたのだと思います。
今も、心に咲いている「赤い花」
そして、その翌月、6月25日に夫は亡くなりました。
そんな優しい息子さんだから、それからずっとお母さんを助けてくれたのでしょうって?
いえいえ、そんなに、話は上手くいきません。
その後、次男は不登校になったり、夜遊びしたり、学校から呼び出しがあったり、荒れに荒れながら、成長していきました。
今は、落ち着きましたが、彼の長~い反抗期に振り回されながら、私も毎日を必死に過ごしてきて、彼と一緒に成長してきた感じです。
あの時の、あの謎の赤い花。
今でもなんの花だったのか、名前はわからないまま、私の心の中で咲いています。
とっても苦しく辛そうにしているときに、さりげなくその人の心に寄り添うこと。
この歳になっても、なかなか、私にはできていません。
あの、11歳だった息子が私にくれた、忘れることができない大きな「母の日のプレゼント」です。
あれからずいぶん経ちます。
そのあとも、そして、今年の母の日も、やっぱり、な~んにも貰えない(はず)の私です。笑笑
今日は、母の日。
毎年思い出す「謎の赤い花」について、つぶやきました。
今日も、最後までお付き合い下さって、ありがとうございました。
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