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☆そのときのために・・・『死にゆく人と共にあること』を読んで~

メメントモリ

ケアの勉強をしていた時、たくさんの本に出会いました。

私は、夫を癌で看取った時から、終末期医療に関心がありました。 

その中の1冊、「死にゆく人と共にあること・・・マインドフルネスによる終末期ケア」について、

折をみて、ブログにアップしていきたいと思います。

色々なところに気づきがあります。

『死にゆく人と共にあること』との出会い

この本と出会ったのは、私がホスピスや病院でボランティアをしていた時です。

ちょうど、ティクナットハン師の著書や「マインドフルネス」にも出会った頃と重なります。

ブログで何度かつぶやきましたが、私は、禅に惹かれているのです。

全くの理屈抜きです。禅の考え方がストーンと腑に落ちるのです。

米国でホスピスケアをする人は、キリスト教徒と思いがちですが、

この本を書かれた著者、ジョアン ハリファックス師は、米国の禅仏教師です。

禅に惹かれている私にとって、親しみのもてる内容で、印象深い本となりました。

死を目前にした人は、何を思うのか。

そして、死後の世界について。

どんなに考えても答えは出ないはずですが・・・。

やがて、私も経験する「死」

とにかく、少しでも、答えに近づきたかったのでした。

この本は、ホスピスで働く人、ボランティアをする人、傾聴ケアをする人だけに関わらず、

愛する人が死を目前にして、苦しんでいる時、傍らに寄り添う家族や友人にとっても、

いえ、必ず「そのとき」を迎える人(=要するに全員やね!)にも、気づきのある内容の本だと思います。

生を受ければ、必ず死が存在する

夫の病名と余命が告知されたとき、悲しみ、苦しみと共に私を襲ったものがあります。

それは、「人間って、必ず死ぬんだ」と言うあたりまえのこと。

辛いとか苦しいとかいう感情だけではなく、当たり前の事実を再認識したのです。

母と早期に死別した私でしたが、その時とは、また、違ったものでした。

死別体験した時期が10代と40代。人生を重ねてきて、中年になって、改めて感じたのかも知れません。

母の死は突然だったけれど、夫の死は予期されていたから。。。

死を待つ時間の違いが、あるかも知れません。

ホントのところは、何故、そう思ったのかは、明確にはわかりません・・・。

忘れていたわけではないけれど、深くは考えなかった「死」

夫が入院している間、私の目の前に突き付けられたのでした。

死の否認

本の中にも書かれていますが、現在の私たちの文化には、死を否認する傾向にあります。

いざ自分や愛する人が病に倒れ、死を目の前にしたとき、慌てふためいて、身がすくんでしまうのです。

とは、言っても、普段から、死の準備をする人は、あまり、居ないと思います。

私も一緒でした。

だから、愛する人の死と直面すると、慌てふためいて、ドギマギ、ドギマギ・・・・

看病の傍ら、なんとも安定感のない、不安定な状況で、彼の横に座っていました。

その時の私。。。いえ、。。。

今でも、自分の死や、愛する人の死を目の前にすると、きっと、やっぱり、ドギマギドギマギするに違いありません。

それが、一般的な人間なのだと思います。

頭で理解していても、やっぱり、怖いものなのです。

いつか必ず来る「その時」のために

この本は、「マインドフルネスの実践によって、こころが育まれる」とあります。

副題は、「マインドフルネスによる終末期ケア」

開放や受容、その実践から育まれた信頼と忍耐は、私たちの支えとなってくれるとのこと。

マインドフルネスによって、行われる「こころの訓練」かぁ・・・

シニアになって思うのは、いつか必ず訪れる「そのとき」のこと。

この本を再び、手に取った今、そろそろ、こころの準備も必要かなと、思っています。

(ホントは、準備するのに年齢は関係ないけれど・・・)

夫の死をみつめたときの私は、ホントに余裕がなかったなぁ・・・。

悲しみの渦に巻き込まれながら、それでも、残された子供たちと自分の生活を考えて、生きていかなければならなかった。

↑と、言い訳をしています。

今なら、時間にも、心にも、ちょっぴり余裕があります。

マインドフルネス・・・・再び、続けようかな・・・。

私の「そのとき」のために。

今日は、ジョアン・ハリファックス師による「死にゆく人と共にあること」を再び手にしたことについて、つぶやきました。深い本なので、これからも折をみて、つぶやいてみようかと思います。

今日も最後まで読んで下さって有難うございました。

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