先週、袴田巌さんの無罪が確定されました。
実に事件から58年。
検察が控訴をしないことを明らかにし、やっと、ようやく無罪が確定されたとのこと。
袴田事件は、1966年6月30日に日本の静岡県清水市横砂の民家で発生した強盗殺人・放火事件。現場の家に住んでいた味噌製造会社専務の一家4人が殺害されて金品を奪われ、家に放火された事件である。同社の従業員だった袴田巌氏が逮捕・起訴され死刑判決が確定したが、後に再審で無罪が確定した冤罪事件
ウィキペディアより
事件が起きたのは、68歳の私が小学校4年生のとき。
拘置所で48年近く拘留、再審開始と共に2014年に釈放され、その後も死刑囚として月日が流れていました。
自分の人生と並べると、本当にものすごく長い年月だと、痛感します。
そして、最高裁で死刑が確定した後の1991年ごろから、袴田さんは、拘禁反応がひどくなっていったとのこと。
拘禁反応とは、刑務所などの拘束された状態で起こる精神障害で、幻覚や妄想などの症状がおきるそうです。
1人の人間の人生を狂わせた事件だったのですね。
警察も、検察も・・・・・・・・ん~・・・・・・・
映画化された和歌山カレー事件も、冤罪の可能性が囁かれています。
かつて、グリーフケアを学んだ研究所では、いろんな角度で「人間のいのち」について考える機会がありました。
死刑制度や脳死の問題など・・・研究所の仲間と色々と議論をしました。
一緒に学んだ仲間には、犯罪被害者もいました。
重いテーマをそれぞれが真剣に話し合ったことを覚えています。
また、研究所時代、松本サリン事件で、被害者でありながら、犯人と疑われた河野義行さんの講演を拝聴する機会が2度ありました。
河野さんもまた、自らの冤罪体験を持つ一人です。
妻の澄子さんは、サリン中毒によって意識不明になったまま、病床で14年間生き抜き、2008年に亡くなられています。
河野さんは、意識がなくても、澄子さんは、そこに存在するだけで励ましてくれる存在だったと語られています。
私が河野さんのお話をお聞きしたのは、もう今から15年ほど前です。
うっすらとした記憶ですが、
犯人にしたてられた経緯と、冤罪の恐ろしさを語られ、その一方で、オウム真理教元信者との交流の様子も語られました。
ご自身の人生は、人を恨んだり、憎んだりしたくない。
壮絶な経験をしたからこそ、幸せに生きるために、伝えていきたいことがある・・・
そのような内容に、胸が熱くなったことを覚えています。
すごいな・・・・・すごい人生だな・・・・・と。
被害者家族、加害者家族、関係者など、立場によって、死刑に関しての考えはさまざまだと思います。
難しく、そして、重いテーマです。
先日、テレビのある番組が「死刑制度」をテーマに放送されていました。
出演者のひとり、泉房穂前明石市長の言葉がささりました。
弁護士であり、社会福祉士の資格をお持ちで、犯罪被害者支援もずっとされてきた方です。
そのコメントが、私の気持ちにピッタリでした。
「いかなる理由があっても、国が人の命を決めてはいけない」
今の私には、その言葉が胸にささりました。
社会的な側面だけではなく、哲学、宗教的な側面も大切にしなくては・・・。
そう思うのです。
戦争を含め、人が、そして、国が人を殺してはいけない・・・・。
今の私は、そう思うのです。
今日は、袴田巌氏の無罪確定の報道を見ながら、「人のいのち」について考えてみました。
ブログで書くのは、難しく、重いテーマでした。
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