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☆死んでも「あ、いるんだ・・・」~谷川俊太郎さん~

メメントモリ

知っているけれど、知らない人。 知らないけれど、知っている人

この一週間、そんな方の訃報が続きました。

本やテレビで、一方的に私が、知っているだけで、直接の面識はない方たちです。

でも、やっぱり、なんだか、寂しくなります😢

皆さん、この世からあの世に旅立たれ、今、どこにおられるのでしょう。

谷川俊太郎さんが語る「死」

素敵な言葉を通して、子供から大人まで、たくさんの方を励まし、そして、愛された谷川俊太郎さんも、

あの世に、旅立たれました。

谷川俊太郎さんは、こんな風に話されています。

自分が死んで死体になったらそれはもう自分ではない、という感覚が僕にはありますね。

死体は有機物だから、日本人の伝統的な感覚では、「土に還る」というのかな。脱ぎ捨てた洋服、抜け殻みたいなものという感じですね。

ただ、死んだ後には、魂のような何かが残ると思っています。

~朝日新聞 GLOBEより~

私も、棺の中の夫は、「夫ではない」感覚がありました。

ホントの夫は、どこかにいる・・・そう思いました。

谷川さんも、「(死んだ人も)あ、いるんだ。」

そんな感覚を言葉にされていました。

パソコンの中から

死んだ友人の元気な声が

聞こえてきた

あ いるんだ

なんだ

別れなくてよかったんだ

今ここの現実に

ひそむ真実

見えなくても

聴こえなくても

触(さわ)れなくても

すぐそばに

人なのに

生まれたての

顔で

笑っている

そっちは

もう

未来

かな?

「あ いるんだ」 不思議な虹と蝶と龍の雲と

50代の頃、スピリチュアルケア、グリーフケアの勉強をしました。

たぁ~くさんの、本を読む中で、私の「死」に関しての思いもそれなりに、深まったと思っています。

事実かどうかは、やっぱり、生きているからわからない。

けれど、

肉体を脱ぎ捨て、魂がホントの意味で自由になって、飛び回っているように思うのです。

これまで、ブログにも何度か書いていましたが、

夫は「虹」になって子育て中に遺された私に、

母は「蝶」になって、泣き暮らしていた高校生の私に、

そして、父は、葬儀の日、不思議な空に昇っていく「龍の形の雲」になって、私の前に現れました。

父は辰年生まれ。葬儀の日、火葬場からの帰り道に、私の目に飛び込んできた偶然。

「あ、いるんだ。」

何の違和感もなく、そう感じ取れたできごとでした。

生きることは、死ぬことによって完結される。

谷川俊太郎さんは、そんな風にも、語られていました。

そろそろ自然にかえる年齢に。。。

さて、そろそろ、年季の入ってきた私の身体。

せっかく頂いたオリジナルの物だから、使えるところまで、大事に労わりながら、使わせてもらいます。(お酒は飲んだり、不健康なこともしてますが。。(笑))

そして、その時がきたら、遺骨は、土に返してもらって、自然の中に溶け込めたらいいなと思っています。

私は、そう思っているけれど、死後のことは、遺族が一番納得する形に任せちゃう。

負担にならずに、お好きなように・・・ってところでしょうか。

身体を脱ぎ捨てて、自由になった魂の私も、遺された人の中で、万が一(笑)、悲しみにくれている人がいれば、何かに姿を変えて、励ますかもしれない・・・

「楽しく生きたから、そんなに悲しまなくていいよ💕」と言いたいな。

遺族が落ち着いたころ、徐々に、「個」もなくなって、大自然のなかに溶け込んで、次の世界で、生きていくような気がします。

知らんけど(笑)

先日、寒くなった夜空の下を家路についているとき、ふと、思ったのです。

私が、あの世にいったとき、

おこた(炬燵)に入った、父、母、夫が、炬燵布団をめくり、

「はよ、あたたまり! 寒いでしょ」と迎えいれてくれたら、嬉しいな。

この世のお土産話を、炬燵のなかで、ゆっくりとお喋りしたいなぁ・・・

そう、考えたら、ほっこりとした気分になりました。

ホントのところはわからないけれど、

やっぱり、「あ いるんだ」

と思いたい・・・・・・・アーモンドです。

谷川俊太郎さんのご冥福をお祈りいたします。

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