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☆社会の不条理とその犠牲

エッセイ

新聞を読んでいると、胸が痛む記事が多くなっているような気がします。

先日来、何回も溜息をつく日が続きました。

怒りがこみ上げ、溜息と 切ない気持ちと むなしさと、色々な感情が入り混じります。

若い人や働き盛りの人達が、社会の不条理の波にのまれて、亡くなるという悲しい現実。

そんな記事が続いていました。

その中のひとつ。

大手コンビニの店長が、1年4カ月休みなしで働き、2022年に自死、2024年に労災認定をされたとのことです。

労災認定されても失われた命はもどらない・・・

休みなしで、働き続ける。。。

犠牲者が続いているという現実。

本部は、こんな悲惨な状態にあることに対して、対策を真剣に検討しているのでしょうか💢💢💢

力のあるものが、弱いものを犠牲にして成り立つとういう社会の不条理。

‥‥・・・・・・・・・・・・

何度も書いてきましたが、便利であることをもう少し考え直す必要があるような気がします。

人口の減少問題が明らかになっているのに、24時間店舗を開ける必要があるのでしょうか。

こんなにコンビニを林立させることって、必要なんでしょうか?

儲かっているのはどこ? 本部?

店長が人間らしい生活ができないで、自死や過労死に至っている現実を、もっともっと、真剣に考える必要があるような気がします

コンビニができる前は、私たちは、それなりに工夫をして、買い物をしてきました。

少し不便でも、我慢や工夫をすることを学んだような気がします。

20年ほど前に、初めての海外旅行で、オーストラリアに行った時のことを思い出します。

(初めてだけれど、たぶん、最後・・・とも言える(-_-;))

ケアンズだったと思います。

買い物をしようとある店に入った時、店員さんから、「今日の仕事は終わり。店は閉めるので」と帰らされたことがありました。

土曜日だったような・・・

外は、まだまだ、明るかった。。。。。

一緒に旅をしていた息子と顔を見合わせながら、クスッと笑ったことがあります。

「なんか、いいね! 仕事より、家庭での時間を大切にしてはる。」

日本では、「お客様は神様!!」的発想が根強く、お客様に合わせる傾向にあるけれど。

自分と自分の家族との時間を大切にする。。。なんか、微笑ましく感じました。

亡くなった店長さんは、生活のために、まじめに一生懸命、身体を壊しても、働き続けられたようです。

精神的に病んでしまうと、正常な判断が、できないことがあります。

そこまで追い込んでしまう「利便性」ってなんなのかな。

私たち一人一人が、真の余裕のある暮らしについて、もっともっと考える必要があるような気がします。

誰かを犠牲にして、便利になっている社会は、社会そのものが病んでいるのです。

社会が病んでいると、弱者が犠牲になるような気がするのです。

難しいかもしれないけれど、もう戻れないかも知れないけれど、

少しくらい不便がちょうどいい・・・

おおきな溜息と共に、そう思ったアーモンドです。

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