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☆早逝した母の思い出

人生
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最近、眠りにつく前に、母のことを思い出すことが多くなりました。

年齢を重ねた分、母との再会の日が近づいているからでしょうか。

今日は、早逝した母との思い出について、つぶやいてみます。

小さい頃の母との思い出

アルバムを開いてみると、母親に抱かれた写真があります。かわいい💓(←個人的見解です)

お庭で撮影、2歳ほどの私を見つめる母の優しい瞳。安心して抱かれている笑顔の私。

たぶん、母の人生の中で一番幸せな時だったように思います。(勝手にそう思うのですが・・・)

幼い頃の私は、両親の溢れる愛情をたっぷり、もらっていたと思います。

怒られたことの思い出は、皆無。(私自身も、今とは違い、大人しかったから。笑)

晴れた日は、お庭に(何故か、庭に ”お” がついてしまいます。(笑))にリンゴ箱をひっくり返した簡易テーブルを作り、ランチをしたこと、思い出します。平和な時代♪

2歳年上の兄がいるのですが、子供たちが、急がないといけない時に、母が歌ってくれた歌を思い出します。

♬ 男の子と、女の子と、どちらが早くできるでしょう! ♬

そうやって、叱り飛ばすことなく、優しい声で歌って、子供たちを促してくれました。

今でもこの歌は、しっかりと覚えています。

「早くしなさい!」を連発する私の子育て時代と大違い⤵

昭和30年代、まだ洋食は、一般的には、家庭料理として、作ることが少なかった頃のこと。

お家(また、”お”をつけてしまった (笑))の夕飯に、お子様ランチを作ってくれました。

オムライスの上には、爪楊枝で作った「ひのまる」を立てて。

なんて、余裕のある子育て!(私とは大違い 笑 )

そうやって、お母さんとしての役割を、楽しんでいたのだと思います。

昭和半ばのお母さんたち、洋服も手作り。

同じ生地で、母とお揃いのワンピースをつくってくれた事も思い出します。

昭和の、時間がゆっくりと流れていた、そんな時代のお母さんでした。

幼稚園時代、母が、駅前に洋装店を開いたことを思い出しました。

私の最初の就職先も偶然にアパレル。

先日、つぶやいた人生の伏線は、こんなところにも敷かれていたのですね。

父の事業が傾く前だったので、金銭的にも余裕があり、まぁ、有閑マダムの道楽といったところでしょうか。

少し、おしゃれで、センスの良い、そして、とびきり美人の、自慢の母でした。

ですが、小学校時代の母は、徐々にメンタル面が弱くなっていきました。

以前に呟いたので、詳細省略ですが、父の浮気が引き金、そして、母自身の生育歴にも原因があったように思います。

病院にも何度か入院し、小学生時代の私は、少し寂しい思いをした記憶があります。

元気な時は、夕飯後に、兄と私と母の3人の時間が流れました。

「しりとり」をしたり、母の戦争時代の疎開の話、初恋の話。。。。

急に昼食時に倒れて、私達兄弟が、救急車を呼んだことも、強烈な記憶として残っています。

精神的に不安定な30代後半の母。

仲良し母娘、楽しい思い出もいっぱい

元気なとき、体調不良のときを繰り返しながら、母の人生後半は流れます。

中学校の修学旅行のとき、カバンの中から、母からの手書きメッセージが出てきました。

「(はっきりとは覚えていないのですが)修学旅行、元気で、楽しんできてね。」というような内容だったと思います。

友達に見られると恥ずかしいと思い、紙を丸めて、かばんの底に突っ込んだような。。。薄情な私⤵

小学校時代は大好きなジャニーズ元祖、フォーリーブスのライブ、

高校時代は、アリス、バンバンなど関西フォークのコンサートも一緒に行きました。

そして、梅田への買い物。阪急三番街、当時からありました。滝が流れ出した頃。

母娘で楽しみ、いちごパフェなど、美味しいものを食べたこと、覚えています。

何でも話せる、今流行りの、友達母娘でした。

そして、突然の悲劇・・・・・

悲し過ぎる最期のとき

高校生と言えば、自分のことばかり。

もう少し、母の話を聴くことができれば、私も、少しは母の役に立てたのかもしれません。

最期の1週間、当時のことは、日にちも含めて覚えています。

8月3日、高校三年の夏休み、父兄対象の個人懇談会がありました。

免許取りたての兄が運転し、神戸の私の学校へ行きました。(母・兄・私の3人で)

その帰り、母が、箕面(私の誕生の地)に行ってみたいと言い出しました。

兄の運転で、小中校時代を過ごした芦屋を回り、幼少期過ごした町、箕面へ。

母が、思い出の地を回りたいと願ったのかも知れません。

思い出の地に別れを告げに行ったのかな?

幼馴染みの家に行き、母と、当時の母のママ友と何かを話し込んでいました。

8月7日 母の誕生日、一家4人(父母兄私)、お祝いの夕飯を大阪心斎橋で食べました。

父からプレゼントされたネックレスに喜ぶ、幸せそうな母の笑顔。

その年の夏、夫婦喧嘩が続いていた我が家にも、やっと幸せの時が来た!と喜んでいた私。

両親の仲が良いのは、子供にとってもとっても嬉しいことです。

当時、そのことを話すことをためらいながら、食事の帰りに、

「お母ちゃんが、美味しそうにご飯を食べているのを見ることが一番嬉しい♪」と言ったことを覚えています。

本音は、「二人が仲良くしてくれているのが、とっても嬉しい♪」と言いたかったのです。

二人に負担がかからないよう、直球表現を避けました。

その夜は、とっても幸せを感じていた私です。

そして、    わずか4日後の悲劇。

その日のことは、朝からしっかりと、覚えています。

でも、詳細を書くのは、今でも、まだ、無理かな。。。

最期のとき、病室で再会をしたときのこと。

愛する人との突然の別れを初めて経験しました。

ただただ、祖母にむかって、「子供たちを頼む」と、言い残して、母は、天国に行きました。

まだ、41歳になったばかり。若い、母の人生に幕がおりた日です。

あまりにも、寂しすぎる、残酷な母の最期でした。

若いままの母、シニアになった娘

母の年齢を、ずいぶん超えてしまった今の私。

グリーフケアの勉強をして、傾聴ケアも学びました。

当時の母に寄り添うことができれば。。。。と、思うのです。

でも、これが人生なのかも。

やり直しがきかないのですね。

今になって、毎夜、母に語りかける私。

若く美しいままの母。 そして、シニアに突入した娘。笑笑

もうすぐ、会えるかな?

会えたら、いっぱい話がしたいな。

そして、こう言うのです。

「お母ちゃん、安心して! たくさんの出会いがあって、私は、幸せな人生を過ごせたよ♪」って。

あ!!! まだ、終ってへんやん。笑 

残りの人生、幸せに過ごせるよう、今を大切に生きることにします。

少々、危なっかしい、最近の私ですが・・・・笑笑笑 

実は、色々ありまして…ブログに書けない事も、トホホ・・・⤵ 苦笑⤵

今日は、母のことを思い出し、つぶやいてみました。

母の人生、今、母はどう思っているのかしら?

今日も、最後までお付き合い下さって、有難うございました。

では、また。

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