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Twitterを覗くと、死別の悲しみの声が、たくさん聞こえてきます。
みなさん、いたたまれなくて、言葉にされているんだと思います。
無意識に? それとも意識的に?
私も死別直後は、自分の悲しみをはきだしていました。
意識してではなく、無意識に。
言葉にしたり、書き出したり。。。
今日は、そんな日のことを思い出しながら、つぶやいてみます。
死別直後に書きなぐったノート

薄グリーン色の表紙の古いノート。
中を開けると、死別直後に、書いたのでしょうか。
とても乱雑な文字で、夫が入院中のできごとが書かれています。
今でも、このノートを見るのには、少し勇気が要ります。
辛かったあのときが、蘇るような気がするからです。もう、ずいぶん昔のことなのに。
でも、何故か、捨てられない。私の大事なノートでもあります。
入院中の夫の様子、夫婦の会話、家族4人で過ごした病室でのことなどなど。
日記のように、続けて書いているのではなく、数ページにわたり、書きなぐったような文字。
身体の中にある激しい悲しみ、辛さを、少しでも外に吐きだす作業をしたのかな?
そうせずには、いられなかったのでしょう。
今、思うと、自己防衛のひとつだったのかも。
書かずにはおれない心理状況だったのだと思います。
見ず知らずの女性に宛てた手紙

死別後、どのくらい経ったころでしょうか。はっきりとは覚えていないのですが、
新聞のなかに、夫と死別したという方の投稿記事をみつけました。
記事の内容は、もう覚えていないのですが、たぶん、その方も配偶者と死別した悲しみについて書かれていたのだ思います。
普段なら、同じような方がいるんだな。。。。で、終わってしまう所ですが、
私は、早速、その見ず知らずの方宛てに、手紙を書きました。
手紙の内容はほとんど、覚えていないのですが、その方に届けてほしいと。新聞社宛てに送付。
その方から、新聞社を通してお返事を頂きました。その手紙は、今でも大事にしまっています。
見ず知らずの者から、闘病中の苦しみ、死別の悲しみを書き出した手紙を受け取り、
さぞ、驚かれたと思います。そして、申し訳なかったなと思います。
家族、知人、友人などには、なかなか、口に出すことができません。
あまりに近しすぎて、辛い思いをさせてはいけないと、悲しみを表現することができませんでした。
共感してもらえそうな、誰かを探して、辛い状況を吐き出したかったのかもしれません。
その方からの返事の内容は、とても温かいもので、今でも、感謝の気持ちでいっぱいです。
今は、Twitterはじめ、色々なSNSがあり、気持ちを発散できる場があるのは、いい事だなと思います。
就職の面接の場で。。。。
夏の終わりだったと思います。小雀達を養うために(笑)に、親鳥が必死に就職活動をしたのは。
40代での正社員、しかも、子育て、家事と両立できる会社探し、お給料も妥協は、できません。
何社も何社も納得するまで、応募しようと頑張りました。
そんな中で、ある会社の面接担当者が、女性の方だったことがあります。
面接時に、夫と死別したことを話したところ、
その面接官も、数年前に夫を交通事故で亡くされたこと、高校生の息子がいる事など、話してくださいました。
そこからは、あり得ない私の行動。。。。。。(汗;)
その女性面接官に向かって、闘病中の話、死別の悲しみ、苦しみを必死に喋りました。
もう、面接ってこと、・・・完全に・・・忘れていました。。。
やっぱり、誰かに胸のうちをさらけ出したかったんだと思います。
とても、優しかったその面接官は、ずっと、私の話に耳を傾けてくださいました。
その方にも感謝です。普通なら、あり得ないこと。
その面接の結果? 思い出せないのです〈笑)。
たぶん、自宅から通勤時間がかかり過ぎたため、辞退。
辞退・・・・あんなに話を聴いてくださったのに。まぁ、先方も辞退でホッとされたかも。
その時の面接担当者にも、ホントに感謝をしています。
悲しみの話を聴いた時

こうやって、私は、見ず知らずの方に、死別の辛さ、悲しみを吐き出しました。
知らない誰かだったのが、良かったのかも知れません。
共感してもらえそうな誰かに、聴いてもらいたかったんだと思います。
人間は、悲しみが飽和状態になると、無意識に吐き出そうとするのかも知れません。
それは、ある意味の自己防衛だったのかも知れません。
悲しみで自分が壊れてしまわないようにするための手段だったのかも。
そう言えば、突然、母を亡くした高3の夏休み、私は、担任に向けて、長文の手紙を書きました。
母への思いと迫力のある文章に圧倒されたと、返事がきました。
昔から、私は、書いたり、話したりして、悲しみと上手に付き合ってきたのかも知れません。
悲しみ、辛さでいっぱいのときには、ノートをあけて、色々綴ってみるのもいいかも。
そして、悲しみを誰かがあなたに向けて語った時、そっと、耳を傾けて頂ければと思います。
アドバイスや余計な慰め、励ましより、しっかりと耳を傾けること。それが有難い。
それだけで、悲しみいっぱいのこころが、少しは癒されるかもしれません。
かつての私は、優しい方たちに、そうやって、助けてもらいました。
いろいろと・・・・今更ながら・・・感謝の気持ちでいっぱいです。
Twitterを眺めながら、悲しみを語ること、書き出すこと、表出することって、
とっても大切なことだなと思い、過去の私を思い出しました。
今日は、悲しみを吐き出しながら、悲しみと付き合ってきた、
過去のわたしについてつぶやいてみました。
最後まで読んで下さって、有難うございました。
では、また。
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