栗原はるみさん。
人気のある料理家で、素敵に年齢を重ねている女性です。
NHKスペシャルで『悲しみを癒す人生レシピ 栗原はるみのひとりごはん』を観ました。
それぞれの喪失感
5年前に最愛の夫、栗原玲児さんと死別されました。
今回、画面に映るはるみさんは、少し瘦せていて、この5年間の喪失感が、身体に表れているようです。
それでも、私より10歳近く先輩、とても77歳には見えません。
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夫婦歴の長短に関係なく、愛する人を亡くすということの喪失感は、それぞれ、深いものです。
改めて、そう感じた番組でした。
私にすれば、50年以上、共に暮らせて、いいなぁ・・・💕と、うらやましく思ったのも本音。
でも、すぐに、また人と比べてる自分に気づき、「あかん、あかん!」と言い聞かせます。
何年一緒に暮らそうとも、愛する人と別れた場合は、それぞれ深い喪失感があるのですね。
「こわい」と言う感情
自分と重ねながら観た場面がありました。
愛する人を失ったときの「こわい」と言う感情。
はるみさんも語られていました。
これまで何度もブログに書いてきましたが、この感情は、不思議でした。
寂しい…悲しい… そんな感情の前に、「こわい!」と言う感情があったこと。
愛する人がそばにいる、ふたりで生きてきた。それが日常だったはず。
ある日、死を境に突然、「独り」になるという怖さ。
それは、死別前は想像もしなかった感情です。
まるで、漆黒の宇宙に一人で放り出されたような、または、底がない海の中をどこまでも一人で沈んでいく感覚。
この番組の中で、はるみさんも「こわい」と仰っていたことが印象的でした。
ところが、24年も経つと、非日常が日常に。
私は、夫がいないことが「日常」になってしまいました。
「こわい」と言う感情は薄らぎました。
いや、本音を言うと、全く「ない」・・・強くなったものです(笑)
そんな日々(夫がいない)が、日常となっていることに、なんとなく「寂しさ」を感じていることも本音かな。
自分の人生を生きる
そして、もうひとつ。
自分の人生を生きること。
私は、色々な感情が頭の中を駆け巡り、喪失感でいっぱいだった、そんなある日、
ふとしたことから、気づいたことがありました。
「愛する人が亡くなってしまっても、私の人生は、続いていく」
そんな当たり前のことに、気づかされたのです。
「泣いてばかりでは、いけない。私自身の人生は、まだ終わったわけではない」と。
グルグル色々な感情が回る中で、そう思った瞬間があったのです。
番組の中のはるみさんと重ねながら、そんなことを思い出しました。
はるみさんは、ご自身の人生を大切にし、
ひとりごはんのメニューを考えたり、ギターを始めたり。
愛する人を失うと、そこから学ぶこともあるのですね。
「人生には、限りがある。自分の人生を精一杯生きないと!」
はるみさんが、懸命に生きてこられた5年の年月が、画面から伝わりました。
未亡人歴の長い私、少し忘れがちになっていたけれど、改めて思ったのです。
私の人生を、大切に生きているかな?・・・と
マイノリティだった比較的若い年齢で未亡人になった私。
気が付けば、少しずつ、仲間が増えていく年齢になったのですね。
60代、70代…上手くいくと(笑)80代、90代 生きるかも。
未亡人になったからと言って、自分の人生が終わるわけではなく、まだまだ続いていきます。
愛する人を亡くした喪失感「こわい」と言う感覚、
そして自分の人生を生きるということ。
そんなことを改めて思い出させてくれた番組でした。
さて・・・これからも・・・色々な出会いと、日々を重ねながら、
・・・・・・・・・・・・アーモンドの人生の旅は続きます。
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