(👆アイキャッチ画像は、ポンペイ遺跡・モザイク絵の「メメント・モリ」です。)
メメント・モリ
ゲームの名前ではありません。
私が初めて聞いたのは今から15年程前だったでしょうか。
その頃に読んだ本「メメント・モリ」と日野原重明先生のことについて今日はつぶやいてみます。
ポンペイ展で見た「メメント・モリ」
昨年のちょうど、今頃だったでしょうか、京セラ美術館で開催されていた「ポンペイ展」に行ってきました。
2000年以上も前、ナポリ近郊のヴェスヴィオ山で大規模な噴火が発生。
火山噴出物に飲み込まれたままの状態で、ローマのポンペイの町の暮らしや生活が残されていたことは、知っていました。
隣町の京都で開催。ぜひ、見学したいと向かったのでした。
そこに飾ってあった一枚の絵、「メメント・モリ」(ラテン語で、「死を想え」の意味です)
古代から、人間は、必ず「死」がやってくることをみつめて生きようとしていたのですね。
昨年は、その前に立ち止まり、思わずモザイク絵を見つめてしまいました。
スピリチュアルペイン
グリーフケアの勉強を始める前に読んだ本が、日野原重明先生の「メメント・モリ」でした。
先生は、医師として毎日、患者と向き合う日々。
生活の一部として常に死を意識されているに違いないと思ったからです。
私の中で、やっぱり夫の死に、自分なりの後悔が残っていたのだと思います。
告知に関して、あれでよかったのか、最期のときの決め方など。。。。
色々な本を貪るようにして読んでいた日々のなかで出会った1冊でした。
その中に、近代的ホスピスを設立したシシリー・ソンダースが分類した「患者の痛み」について書かれている箇所があります。
①肉体的痛み ②精神的痛み ③社会的痛み それらに加えて、④霊的痛み(スピリチュアルペイン)があること。
スピリチュアルペインには、死を自覚したとき無に帰すると言う恐怖、心の奥底にある罪の意識、神仏を無視した生活から生まれる恐怖、自責の念、不安、虚無感などなど・・・・人生の意味、価値の問い直しなどと書かれています。
夫との死別後、何か忘れ物をしてきたような気分が残ったままの私。
忘れ物を取り戻したいと、以前にもブログに書いたように、キューブラーロスや石垣靖子先生の講話、アルフォンス・デーケン先生の書物を読んでいました。
3年間の勉強と日野原先生からの資格授与
本を読むだけにとどまらず、そのあたりを深く勉強したいとグリーフケア研究所を受験。
当時、研究所の名誉所長だったのが、日野原重明先生でした。
その後、3年間、グリーフケア、スピリチュアルケアを学びました。
結構、厳しい勉強でした。
最後まで残った仲間と東北大学で開催された所属学会で、日野原先生から直接、資格証を授与して頂きました。
3年間頑張ったこと、そして、日野原先生から直々に資格証を授与して頂いたことに、喜びと感謝でいっぱいになったことを思い出します。
先生は、2017年に105歳でお亡くなりになりました。
晩年、身体全体を使って、一生懸命に講義されていた姿が印象的です。
今、あちらの世界から、病める人達を見守っていてくださるのでしょうか。
今、出来ることをする
研究所修了後10年以上が経ち、一度、資格更新をしたけれど、色々と思う所があり、学会を脱会、資格も手放しました。
学んだことを実践したいとホスピスでのボランティア、自死遺族会でのボランティアなど、出来る範囲で続けてきました。
体力、時間モロモロの問題もあり、今は、活動ができていません。
生活の場で(今の仕事を含め)、学んだことが役に立てば、それでいいかなと思ったりしています。
人生の中で、貴重な学びが出来たことに感謝しながら、「自分ができることを、今する」にシフトチェンジ。
生きることに疲れている人の中にも、スピリチュアルな痛みを持っている人がいます。
生きていくって、本当に大変なことなんですもの。
母の死、父の事業失敗、夫の若すぎる死、生きづらさを抱えている息子。
人間って? 生きるって? を考える機会が多かった人生かなと感じています。
今の私は、勉強! 資格! 実践!と気張ることを止め、
「メメント・モリ」をちょっぴり意識しながら、残された人生を、自然に生きていこうと思っています。
今日は、メメント・モリと日野原先生の思い出について、つぶやいてみました。
最後までお付き合いくださって、有難うございました。では、また。
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